世界中の人々に愛された伝説のグラフィティメッカ、5ポインツ

Text & Photo: Atsuko Tanaka


「何ここ!行ってみたい!」、この場所を知らない人ならきっとそう思うだろう。そして、もしまだ存在していれば、現代のインスタグラマーらの “映えスポット”として有名だったに違いない。その名は「5 ポインツ(5 Pointz/the 5Pointz Aerosol Art Center, Inc.)」。グラフィティのメッカとして知られたこの建物は、ニューヨークはクイーンズのロングアイランドシティーにあり、世界各国の名だたるグラフィティアーティストたちが訪れ、作品を描いていた夢のような場所だった。当時私は近くに住んでいて、マンハッタンに向かう電車の中からよく5 ポインツを眺めていた。

5 ポインツは、もとは水道メーターを製造する工場だったが、1971年に不動産開発事業者のジェリー・ウォーコフ(Jerry Wolkoff)によって買収され、90年代からアーティストのアトリエとして貸し出されるようになる。ウォーコフはグラフィティアーティストたちに合法で建物の壁に作品を描くことを許可し、93年頃から、パット・ディリロ(Pat DiLillo)が代表を務める「ファン・ファクトリー(Phun Phactory)の名前で人々に親しまれるようになった。

その後2001年に、通称“ミアーズ・ワン(Meres One)”で知られるジョナサン・コーエン(Jonathan Cohen)が作品のキュレーターを務めるようになり、その際にニューヨークの5つの地区のアートシーンの中心の場となるようにと、5 ポインツの名が付けられる。有名アーティストだけでなく、初心者でも壁に描くことが許され、様々なスタイルが入り混じった色鮮やかな作品を観ようと、世界中から多くの人々が訪れた。

そのようにたくさんの人々に親しまれた5 ポインツだったが、買収から40年後の2011年、ウォーコフはこのエリアの土地開発に着手することを発表。アーティストたちは5 ポインツをランドマークとして残すべきと声を上げるも、壁画作品は30年に達していないため値しないと、ニューヨーク市歴史建造物保存委員会から提案は却下され、2013年に高級コンドミニアムが建設されることが決まった。そして、ウォーコフは解体前に、アーティストたちに作品を記録に残す時間を与えることなく、一夜にして壁の作品を白く塗り尽くすという強行手段を果たす。アーティストたちはショッキングな出来事に心を打ちひしがれ、5 ポインツを守ろうと必死に署名を集めたりするが、努力むなしく、解体工事は着々と進み、2014年の8月に建物全てが破壊された。

翌年アーティスト側は、ウォーコフが解体の事前告知を90日前にせずに壁画作品を破壊したことは、VARA(著作権人格権を守るために制定された法律)に反すると彼を訴え、結果ウォーコフは21人のアーティストに対して6.7億ドルの賠償金を課せられた。

お金が手に入ったとて無くなった作品が戻ってくるわけでは決してないが、ストリートアートの価値を改めて考えさせられる大きな出来事になったことは間違いない。これからも5 ポインツは伝説の場所として多くの人に語り継がれていくだろう。