「真実」を写真に収める。NYフォトグラファー・Sue Kwonの軌跡と今後の展望

Text & Photo: Atsuko Tanaka  


80年代後半からNYのストリートやヒップホップアイコン等を撮影してきたフォトグラファーのSue Kwon(スー・クォン)。2009年に初の写真集「Street Level」を出し、12年の時を経て、昨年11月に2冊目となる「RAP IS RISEN」をリリースした。出版を記念して開催された写真展のために来日した彼女をインタビュー。半生やこれまでの撮影を通して印象に残るもの、写真集制作のプロセスについて、ヒップホップシーンとニューヨークの街の変化に対して思うことなどを聞いた。

―まず、生い立ちについてお聞きしたいです。どのような環境で育ちましたか?

コネチカット州のニューヘブンで育ったの。イェール大学で有名だけど、小さな町よ。両親は韓国からの移民で、とても勤勉だった。そして愛情深く、協力的で自由に私を育ててくれたわ。アジア人の友達はあまり周りにいなかったけれど、私は親友と学校をサボって電車に乗ってニューヨークに遊びに行ったりしてた。

 

―ヒップホップを聴くようになったきっかけは?

高校生の頃パンクにハマって、その流れで自然とヒップホップも聴くようになった感じ。当時はまだそんなに人気がなくて、まだまだアンダーグラウンドだったけどね。高校を卒業した後はニューヨーク大学に行って、周りの影響もあってRun DMC や Grand Master Flash とかを聴くようになった。あとは、よく遊びに行っていたRoxy (ロキシー)や Madame Rosa(マダム・ロザ) とかのクラブで DJがいい音楽をプレイしてくれてね。そういうのを聴いてさらにハマっていった。それから当時は車が動くラジオみたいな存在で、通り過ぎる車が流している音楽でいいと思ったら「Vinyl Mania(ヴァイナル・マニア)」とかのレコード屋に駆けつけて、そのレコードを探して買ったりした。

 

―当時のニューヨークはどうでしたか?

私にとってなりたい自分になれる場所だったわ。パンクみたいな格好をしていようが何だろうが誰も気にしない。まさに​​アーティスティックな自由を象徴する街。

 

―地元の町とはだいぶ違ったと思いますが、怖くはなかったですか?

若い時って勢いのあるものとか自由を求めるじゃない?もちろんそれなりに危なかったけれど、だからと言って尻込みすることはなかった。誰とでも話したり、簡単に人を信用しちゃいけないってわかってたし、自信満々な振りして街を歩いたりした。とにかくニューヨークにいれることが嬉しかったの。

 

―写真を撮り始めたのはいつ頃だったんですか?

12歳くらい。父のカメラを借りて撮り始めた。いつも家族の写真を撮っている父を見て、常にその瞬間を捉えることができる写真の素晴らしさに気づいて、それからは自分の人生に起きる全てを写真におさめたいって思うようになった。

―その頃から写真家を目指すようになったんですか?

いいえ、最初は趣味として撮っていたわ。高校を卒業して ニューヨーク大学に行って、写真家で生計を立てるなんてあり得ないと思っていた両親に納得してもらうために、写真とフランス文学の両方を専攻科目として選んだ。それで大学2年生の時、パリに行ってSebastião Salgado(セバスチャン・サルガド)の写真展で、サハラ砂漠に暮らす飢饉の被害者たちの写真を観て衝撃を受けたの。詩的であり痛烈なイメージに「私もこんな写真を撮りたい!」と思った。思いやりと人間性と敬意を持って人々を撮影するべきだってね。

 

―それでニューヨーク大学で写真の技術を学んだのですね。

そうね、基本的なことはそこで培った。表現性よりは技術的なスキルを教えてくれることの方が多かったと思うけど、昔のことだから記憶が定かではないわね。

 

―その頃からザ・ヴィレッジ・ヴォイスと仕事するようになったんですか?

そう、当時からの友人、Hilton Als(ヒルトン・アル)とよく遊んでいて、彼はザ・ヴォイスでライターとして働き始めた頃で、撮影の仕事をもらって。彼は私に初めて有給の仕事をくれた人よ。ユニオンスクエアの近くにあるヴォイスのメインオフィスで、撮影したフィルムを現像したりプリントしたりした。

 

―最初に撮影したラッパーは誰ですか?

3rd Bass(サード・ベース)だったと思う。当時は自分でフィルムの現像をしていたんだけど、彼らを撮影したフィルムをダメにしてしまって、撮り直しをお願いした。そんなことを今したら大ごとになってしまうけど、彼らは問題なくOKしてくれて、どこかのレストランで2回目の撮影をした。今でもその時のことをよく覚えてる。彼らが来るのを待って、ライトをセットして、無事に撮影を終えて、ラボにフィルムを持って行って。おかげさまで2回目はいい写真が撮れた。

ー大学卒業後はどのような道に進んだんですか?

ウエイトレスやベビーシッターとかいろんなバイトをしたり、ファッションフォトグラファーのアシスタントも1年ほどしたけど、そのせいで写真が大嫌いになってしまって。当時の私の目標は戦争写真家になることで、それとはかけ離れたファッションの世界は耐えられなかった。私はドキュメンタリーとジャーナリズムが大好きだし、すごく強烈なものを捉えたいと思っていたの。アシスタントは想像していた感じと違ったし、好きじゃなかった。

 

―でも、好きなアーティストの撮影もしていたんですよね?

当時はまだそんなに仕事がなくて、自分のポートフォリオを作るための撮影がほとんどで。アシスタントの仕事はお金にはなったけど、あの世界は好きになれなかった。友達に「写真なんて大嫌い」ってよく言っていたのを覚えてる。でも大学で写真を4年間も学んだのに、どうしたらいいんだろうって悩んで。数ヶ月そんな時期を過ごした後、また自分用に色々写真を撮るようになって、ようやく情熱を取り戻すことができた。

 

―本当にやりたいことに気がつけたんですね。

そうね、あの時写真を辞めなくて本当に良かったわ。当時はリトルイタリーに住んでいたから、カメラを持って近所を歩き回っていろんな人たちを撮らせてもらった。お年寄りや子供、ソーシャルクラブにいるイタリア人の男性とか、あらゆる人々。その頃ジョン・ゴッティをよく見かけたけど、怖くて彼に声をかけることはできなかったのは唯一の後悔ね。とにかくそうやって、また写真を撮る楽しさを感じることができて、街中を歩き回って撮影した。フィルムを現像に出して、どんなふうに撮れたかを見るのもとても楽しみで、本当に幸せだった。

ー情熱を取り戻せて良かったです。

同じ頃、David “Funken” Klein(デイヴィッド・ファンキー・クライン) に出会って、Lifers Group (ライファーズ・グループ)のドキュメンタリープロジェクトの撮影をしないかと誘われて。当時は私も若かったし、ギャラについて聞く勇気はなかったけど、彼はとても良い人だったし、このプロジェクトをきっかけにThe Source(ザ•ソース)マガジンの仕事をもらえるようになったから結果良かったわ。

 

―Sourceでの仕事はどうでしたか?

正直業界のことは全くわからなかったから最初は戸惑った。教えてくれる人が周りにいなかったし。でも当時のフォトエディターだったChi Modu (チー・モドゥ)はとても親切だった。それでSlick RickやCoolio、Wu-Tang Clan とかいろんなラッパーを撮影したり、Sourceでの仕事をきっかけにWuとよく仕事をするようになって。

 

―ラッパーの撮影で印象に残るエピソードはありますか?

父の日の特集として、Mobb DeepやBig Noyd、 Fat Joe 、Method Manを彼らの子供たちと一緒に撮ったことがとても心に残っているわ。私のアイデアだったんだけど、Source のオフィスに行って、こういうことをやりたいんだって話したのを覚えてる。ラッパーって写真ではいつもハードなイメージだけど、親として、彼らの子供たちといる時はどんな感じなんだろうっていつも思ってたの。編集部はなかなかOKを出してくれなかったけど、最終的にやろうと言ってくれて、できることになった。彼らの違う表情を撮ることができて嬉しかったわ。

ーところで、ラッパーを撮影する上でアジア人女性であることが不利だと感じたことはありますか?

それはないわね。一度だけあるラッパーの仲間が、私に対してくだらないことを言ったことはあったけれど、私は特に何も言わなかった。仕事として撮影を終えることだけにフォーカスしたかったから。それ以外は特にないわ。よく聞かれるし、起こる可能性はないとは言えないと思うけど、自分が彼らにどのようにアプローチするかも大事だと思う。

 

―では、写真集「RAP IE RISEN」について教えてください。プロジェクトはどのように始まったのですか?

私の初の写真集「Street Level」を一緒にやった発行人で編集者のダナと、また本を作ろうってずっと言ってはいたんだけど、お互い子供ができたりするうちにそのままになっていたの。それでコロナが起きてようやく時間ができて、やることになって。最初の本を出した時は、ただ“有名なラッパーを撮ったフォトグラファー”って思われたくなかったから、昔リトルイタリーで撮っていた地元の人たちの写真集にすると決めて、たまたまラッパーの写真がそのエリアで撮ったものだったら入れることにした。私的には満足の出来だったけど、商業的には成功しなかったわ。みんなその良さをわかってくれなかったというか、もっとヒップホップの写真を見たいという声があったから、2冊目の本はラッパーの本にすることにした。

 

―プロセスはどうでしたか?本を作る上で大変だったこと、楽しかったことは?

本当に長いプロセスで、全ての写真を見返すのは大変だった。彼女が私の家に来て、今まで撮った全部の写真を広げて、どうしようか考えて、画像をスキャンして印刷して、っていう感じで編集していったの。約1000枚の写真から絞らないといけなくて、結局時系列に並べるのが一番簡単ということになってそういう順番にした。とにかく本を作るのはとても大変ね。マラソンのようだったけれど、楽しかったことは何十年も目にしていなかった写真を見るのができたことね。

―編集にはどのくらいの時間を要しました?

3ヶ月くらいかかったと思う。ダナのためじゃなかったらできなかったわ。イタリアで印刷をして、11 月に完成して、ニューヨークで出版記念のサイン会をやった。

 

―本に載ってるラッパーの中で誰かレセプションに来た人は?

Large ProfessorがDJしてくれたり、Stretchも来てくれた。あと、 De La Soul の Posdnuos とMethod Manが推薦文を書いてくれたの。本当にありがたかった。彼は私のお気に入りのWu-Tangのメンバー。いつもとても優しいの。

 

―多くのラッパーの撮影をされてきましたが、振り返ってみて当時の経験からどのような影響を受けたと思いますか?

多様性があることは素晴らしいことで、いろんなタイプのキャラクターや個性に触れて、すばやく考えたり変化に対応できるようになったと思う。私は彼らの音楽が大好きだったから、ファンとして憧れの人たちと仕事しているようなものだったし、いつも楽しかったわ。

 

ーSueさんの一番好きなラッパーは?

もちろんMethod Man。一緒に仕事をする時はいつも楽しかったな。音楽に関しては、Wu-Tang の最初のアルバムは他のとすごく違っていて好き。他にもMobb DeepやNas、Beastie Boys とか、みんな素晴らしい。

 

―今でもヒップホップは聴いてますか?

ええ、最近のものも聴くわよ。今のアーティストだと、Kendrick Lamar、J Balvin、Bad Bunny、Cardi B、Post Maloneとかが好き。同年代で彼らの音楽をあまり好きという人はいないけど、私は大好き。他と違ってビートを変わった感じで使ったりしているし、それに彼らの声もすごくいい。新しいアーティストたちがどんな音を聴かせてくれるのか、いつも楽しみにしてる。

 

―ここ数年のシーンの変化についてはどう思いますか?

たまにイベントやパーティーに顔を出すくらいで、クラブに行くことは全くないから、シーンの真ん中を見ているわけではないけど素晴らしいと思う。若手のアーティストたちは自分たちのことをやっていると思うし、例えばBad Bunnyとかもすごいと思うし、リスペクトしてる。彼の新しいアルバムをみんながいいと思うかどうかはわからないけれども、昔と同じことをして90年代のような感じになろうとする方がおかしいように思う。でも色々あるし、私はオープンでいたい。でもやっぱり90 年代の黄金期をリアルに見れたことはとてもラッキーだった。唯一のヒップホップの 90 年代だからね!

 

―ニューヨークの街はどうでしょう?色々変わった様子を見受けますが。

間違いなく変わったわね。それに関してはとても複雑な気持ち。もちろん、私は自由を大事にするニューヨークが今でも大好き。でも家賃は高騰して、それが芸術性にどのように影響するのかいつも考える。スターバックスがいたるところにあって、多くの家族経営のレストランが閉店したり、自分が見てきたものが消えていく様子を目にするのは悲しいわ。

 

―アジアンヘイトについては?何か感じることはありますか?

自分の行動に気をつけているのもあって特に何かを感じることはあまりないけど、ニュースではいろんなことが起こっているのを見る。でもみんなが恐怖心を持って街を歩いてるわけではないと思うわ。私も常に自分の周りを気をつけて見たり、悪いエネルギーを感じたら近づかないようにしてる。そういうことに直面したら、その時々で自分のできることをするしかないわね。

ーでは、ご自身の写真のスタイルを一言で表すと?

「真実」。そうだと願ってる。ドキュメンタリーって言い方を変えると、真実と言えると思うし、出会うものやそこに存在するものをありのままに撮影することでもあるからね。

 

―尊敬している写真家はいますか?

Salgado(サルガド)とBruce Davidson(ブルース・デビッドソン)が大好き。あと、アジア人の写真家のBaldwin Lee(ボールドウィン・リー)。彼は 80 年代に素晴らしい写真をたくさん撮っていて、その後は教授として何年も大学で教えていたの。それである時クイーンズの出版社に見出されて、ありがたいことに今年本を出版したのよ。彼のような素晴らしい写真家が埋もれることなく、値する尊敬を得たことを嬉しく思うわ。

 

ーSueさんが現在取り組んでいるプロジェクトについて教えてください。

主に、ブルックリンのブラウンズビルでのジェントリフィケーション(都市の富裕化現象)を4、5 年間ドキュメントしてる。ブラウンズビルは、ブルックリンの中でまだジェントリフィケーションされていない最後のエリアの 1 つなんだけれど、他のどこよりも多くのプロジェクトがあって、何世代にも渡って住んでいる人々がたくさんいるの。彼らのインタビューや撮影をしたり、建物の写真を撮ったりしてる。巨大な高級ビルが立ち並んでいく興味深い変化を目にしてるわ。 

Brownsville ©︎Sue Kwon

―大事な歴史をドキュメントできて良いですね。

他にも、「We build a block」というプログラムで、ローカルの若者やコミュニティと一緒に、バイオレンスをなくすプログラムに5年ほど前から携わっているの。小さな組織が危険にさらされている若者をサポートしたり力づけようとする動きを写真に収めていくことはとても大事なことだと感じてる。

ー今後のご自身をどう見ていますか?達成したい目標や計画はありますか?

撮影を続けていくこと、そして撮影を続けられる余裕があればそれでいいわ。とてもシンプルよ。

 

―最後の質問です。Sueさんにとってヒップホップとは何ですか?

ヒップホップはエネルギーであり、本当にエキサイティングなもの。色々な節目でアップダウンがあったけれど、なんだか人生みたいなものね。いい気分にさせてくれる素晴らしい音楽でもあり、決定的な大事な歴史的な瞬間もあった。私にとって人生の大きな部分でもある。いろんな素晴らしい瞬間を撮影できて本当にありがたいと思うわ。