desant

ヒップホップというゲームを生きる、第2世代モンゴリアンラッパーの王者

Text & Photo: Atsuko Tanaka


モンゴルからスペシャルな2組のラッパーが来日した。その名はDesant(デサント)とGennie(ジェニー)。知っている人は少ないかもしれないが、実はモンゴルはヒップホップ大国。1992年に社会主義が撲滅し民主化して以降、海外の音楽が流れ込み、独自の文化と合わさってモンゴリアンヒップホップが形成され、多くの若者たちを魅了するカルチャーと発展していった。今回紹介するDesantは現在34歳、モンゴルヒップホップ第2世代を代表するラッパーの一人。小学生の頃ヒップホップに興味を持ち、17歳の時に地元の仲間4人と「Gangsta Service(ギャンスタ・セルヴィス)」を結成。また、別のクルー「Click Click Boom(クリック・クリック・ブーム)」にも所属したり、ソロとしても活動を続け、今では自身のレーベ「TOONOT(トーノト)」で若いアーティストのプロデュースも手がけている。Desantに、自身の半生や音楽との向き合い方、モンゴルのヒップホップシーンについてなどを聞いた。


―今回発来日とのことですが、まずは日本の印象を教えてください。

日本は昔から興味を持っていて、ずっと来たいと思っていたけど、コロナでビザが下りなかったんだ。今回やっと来ることができてすごく嬉しいよ。日本は音楽の面でも独自性があるし、文化の面でも例えばヤクザ、侍、芸者とか独自のものがあって興味深いね。

 

―では、Desantさんの生い立ちについて教えてください。モンゴルのザブハン県ヤロー郡出身だそうですが、どんなところで、どんな環境のもと育ったのですか? 

首都ウランバートルから西に1100キロ離れた、砂漠と草原と森に囲まれたところだよ。そこで俺は遊牧民の子供として育った。モンゴルの夏は3ヶ月くらいしかなくて短いんだけど、夏の間はおばあちゃんの家で家畜を放牧しながら暮らした。

 

―幼い頃はどんな子供でした?

活発でやんちゃな子供だったよ。田舎であまりやることはないから、草原を走り回ったりしてたね。

  ―ご両親はどんな方でどのように育てられましたか?

親父は郡長の運転手をやっていて、母親は幼稚園の先生だった。二人とも結構厳しくて、俺がやってはいけないこととかをした時はすごく怒られた。

―その後小学4年生(10歳)の時にウランバートルのゲル地区に引越しされたそうで、都心に移って環境はどのように変わりましたか?

草原に暮らしてた時は、町まで行ったことがなかったけど、飛行機の上からウランバートルを見下ろした時、「これこそ俺の住む場所だ!」と思ったね。実際住んでみて、人は多いし、情報のスピードも早くて、田舎の平穏な暮らしより都会の活気ある暮らしが向いていると感じた。

 

―中高生の頃はどんな子で、どんな日々を過ごしましたか?

学校ではやんちゃなワルい子に部類されるような子だった。勉強は結構できる方だったけど、7年生の時に勉強よりも音楽に関心が向くようになって、その頃から音楽で生きていきたいと思うようになったんだ。

 

―音楽は周りの影響で聴くようになったんですか?

そうだね、周りもみんな聴いてたよ。当時のモンゴルヒップホップは、MCIT(エムシット)というラッパー率いるDain ba Enkh(ダイン・バ・エンヘ)っていうクルーが出始めたくらいで、俺がよく聴いたのは、2Pacとか、当時流行っていたエミネム とか、アメリカのヒップホップだね。エミネム の映画「8マイル」からもすごい影響を受けたよ。その頃はプロデューサーという職業があることは知らなかったけど、彼らのような曲を作る人になるんだって思った。

―欧米のヒップホップのリリックの意味を理解しようとしたそうですが、英語はどうやって学んだんですか?

辞書とかもなかったし、何を言ってるかわからないけど、とにかく曲を聞いたままリリックを書き出して、歌の雰囲気とかラッパーのキャラクターから、きっとこんなことを言ってるんだろうなって意味を想像したんだ。気をつけて聴いてると、繰り返し使われるスラングとかがあることに気づいた。

 

―それは面白いですね。例えばどんな言葉ですか?

例えば“Buddy”とか“Bro”とか。俺の想像では“Buddy”は子犬で、“Bro”は血だと思ってたよ。後で本当の意味を知ったけどね。

 

―そうやって色々聴いて、自分もラッパーになろうと思ったわけですか?

そう、まず自分でリリックを書くようになった。当時のモンゴルの第1世代と言われているラッパーたちは頭韻でラップしてたけど、外国の曲を聴いてるとみんな脚韻でラップしてることに気づいて。それで自分も後ろで韻を踏むようにリリックを書いてみたらうまく乗りやすいことがわかった。それにその方がかっこいいと思ったね。

―その頃はラッパーをキャリアにしていくというよりは、憧れを持ちながらやってた感じですよね?なるために具体的にどんなアクションを起こしていったんですか?

いつも自分のラップのスキルをどうレベルアップさせるかだけを考えて、やり続けた結果ラッパーとして食べていけるようになっただけで、正直どうプロになったかって言われるとわからないんだ。でもまずは、同じゲル地区出身で3歳年上のパウンドってやつと知り合って、同じような音楽に興味を持っていたから一緒にやろうってなって、他に二グマとパンズってやつと4人でGangsta Serviceっていうグループを作った。それが18、9歳の頃。そのグループで2、3年活動してアルバムを1枚出した。ちなみにDesantはロシア語で「空挺部隊」って意味なんだけど、他のメンバーのMC名も個性的だったから、みんなに覚えてもらえるようになったんだ。

―Desantさんは「Click Click Boom」というグループにも属されていたとのことですが、それはどういう経緯で?

ラッパー仲間のKA(カー)ってやつが、ゲル地区を代表するラッパーのGee(ジー)を紹介してくれて、同じエリア出身だし一緒にやらないかと誘われて、Gee のクルー、Click Click Boomに入ったんだ。その後俺はソロとしても活動するようになったけど、まだClick Click Boomのメンバーでもあるし、Gangsta Serviceもクルーとしてはまだ存在してる。モンゴルのヒップホップクルーは、ロックとかのバンドとは違って、どこにも所属できるし、何かやりたい時に集まるみたいな自由な感じなんだ。

―ご自身のレーベル「TOONOT」はいつスタートされたんですか?

2017年に作って今5年目だね。それまでHustler Musicっていうレーベルに所属してたこともあったけど、自分で初めてオフィシャルな会社として立ち上げたんだ。そこでラッパー兼ジェネラルプロデューサーとして、音楽やMVの制作活動をしてる。

 

―先ほど今でもプロという実感があまりないとおっしゃっていましたが、ラッパーとして売れた手応えを感じたのはいつ頃でした?

曲を作り続けていればいずれ売れるっていう確信は前からあったけど、実感したのは2008年にGangsta Serviceの「Hood」という曲がヒットして、MVがテレビとかで流れるようになった時かな。それで俺らはモンゴルヒップホップの第2世代として注目されるようになったからね。

 

―Desantさんの代表曲と言えば、何になりますか?

3年くらい前に出した「In this game」かな。ヒップホップをゲームに捉えて、それまで自分が生きてきた道だったり仲間たちのこととかをラップした曲。なんでヒップホップをゲームに例えたかと言うと、きちんとレーベルという形にしたのもそうだし、音楽を作っていくシステムやルールを整えたり、曲の質やレベルも上げて、第一世代が築いてきたことを俺らが変えられたと思ったから。

―では、これまでの活動で最も嬉しかったことを挙げるとしたら?

こうして日本に来れてイベントに出演できたり、取材を受けてることが嬉しいよ。 

 

―現在のモンゴルのヒップホップシーンはどんな感じですか?どんなスタイルが流行ってますか?

モンゴルの音楽は8割くらいがヒップホップだから、実質音楽シーンを支配してると言っていいと思う。10代の若い子たちの間では、トラップとかドリルが人気ある。みんなモンゴルのヒップホップも、海外のも聴いてるね。

 

―Desantさんがラップを始めた17年前と今を比べて、モンゴルのヒップホップシーンはどのように変わりましたか?

すごく変わったよ。以前はレーベルを作って音楽を出すということもなかったし、いろんな機材が入ってきたのもあって技術的にもレベルが上がってる。今までいろいろぐちゃぐちゃだったものが、若い人でも段階を踏んで上がっていけるようなシステムができ上がった感じ。今やヒップホップカルチャーはモンゴル全国に大きく広まった。

 

―現在は若いラッパーのプロデュースもされてるんですか?

結構前から年下のやつのプロデュースをしてるけど、これからも色々やっていきたいと思ってるよ。ヒップホップは仲間を助け合うカルチャーだしね。

 

―チェックすべき若手ラッパーを教えてください。

ThunderZ(タンデルZ)だね。俺の弟子だと言っていい。やつはヤバイよ。

 

―日本含め、海外のヒップホップは聴きますか?

欧米のヒップホップは聴く。スタイルで言うと、特にドリルは注目してる。日本に関してはあんまり知らなかったけど、KAが半年くらい前から東京に住んでるから、彼を通してラッパーを紹介してもらったりしてる。日本のラッパーとも今後一緒にできたらいいなと思ってるよ。

ーいいですね!特に好きで聴いてるアーティストはいますか?

ドレー、50セント、Jay Z、2Pac、リック・ロス、リル・ベイビーとかが好きだね。ちなみに2Pacはモンゴルのヒップホップ ヘッズにとっては神みたいな存在なんだ。彼の曲は今聴いても新鮮に感じるよ。

 

―今後フィーチャリングしてみたい人や、一緒に曲を作ってみたいプロデューサーは?

ドレーだね。あとはゲーム。彼らとできたら最高だよ。

 

―ご自身のラップのスタイルを一言で表すとしたら?

ギャングスタ。

 

―自分のリリックで一番好きなものを教えてください。

いいと思う曲はその時々で変わるけど、今好きなのは去年出した「4.12」っていう曲で、その中の「Öööröösöö khetsüü daisnyg yalj üzsengüi(自分よりやばい敵に勝ったことはねえ)」だね。ちなみに曲名はこの曲をリリースした日なんだ。ビートもかっこいいし、リリックも自分の生き様がうまく出せたと思う。

―今後、ラップを通してどんなことを伝えていきたいですか?

ポリティカルな内容をラップすることもあるけど、一番大事なのはヒップホップカルチャーを伝えることだと思うから、あまり政治的に偏りすぎないようにしてる。仲間意識だったり、自分自身を表現していきたい。

 

―これから実現したいと思っている夢や目標を教えてください。

モンゴル独自の音楽をもっと世界に知ってもらいたいね。そのために今頑張ってるけど、もっとスピードアップしていきたいと思ってる。

 

―最後に、Desantさんにとってヒップホップとは?

ゲームだね。俺はプレイヤーだから。

Special Thanks: Dr. Ippei Shimamura