KR$NA
インド人のヒップホップ アイコンが、ニューデリーのアンダーグラウンドから世界的に認知されるまで
Text & Photo: Atsuko Tanaka
世界50カ国に拠点を持ち、130万組以上のインディペンデントのアーティストとレーベルを支援する、大手音楽会社「Believe」の日本法人Believe Japanが3月に開催した「PLAYCODE」発足イベントに出演するため、インド人のラッパー・KR$NA が来日。ニューデリーでUSヒップホップに影響を受け活動を始めてから、世界的な評価に至るまで、その軌跡とビジョンを語ってもらった。ヒップホップが単なる音楽ではなく、生き方そのものである KR$NA の世界とは?
―KR$NAさんは、以前も日本に来たことがありますよね? 日本人や日本の文化に対してどんな印象をお持ちですか?
日本は大好きだよ。今回で3回目で、何度も戻ってきたくなるね。日本の人はみんな親切だし、文化も素晴らしい。 日本食も大好きで、特に寿司、刺身、ラーメンがお気に入り。
―現在はニューデリーに拠点を置いているんですか? 今の街の様子を教えてください。
大きな都市で騒がしい感じだね。 ラフな面もあるけど、いい街だと思う。
―インドのヒップホップシーンはどうですか? 音楽業界ではどのくらいの割合を占めていて、今はどんなスタイルが人気なのでしょうか?
業界が大きくなって、この7年ですごくいい感じになったよ。新しいアーティストが頻繁に出てきてる。いろんなスタイルがあって、とても叙情的なものもあれば、トラップ的なものもある。(規模的には)日本のヒップホップシーンよりも少し大きい感じかな。
―KR$NA さんは14歳でラップを始めたと聞きましたが、どのようにしてヒップホップに興味を持ったのですか?
ラップを始める前からヒップホップは好きで、スヌープとかドレー、マック 10、ナズ、ジェイ Z、ビギー、トゥパックとかをよく聴いてた。 ヒップホップにつながりを感じて、そのうち自分でもリリックを書いてみたいと思うようになったんだ。 最初はあまり上手じゃなかったけど、ハマっていったね。
―真剣に取り組むようになったのはいつ頃?
18歳の頃だね。まだ職業にはならなかったけど、自分に向いてると思って、曲をレコーディングするようになった。 マイクを通して自分の声を聞いてるうちに、さらにハマってもっとうまくなりたいと思った。 でも当時インドはまだ大きなヒップホップシーンがなかったから、副業で他の仕事をしてたんだ。
―レコード会社に勤めていたんですよね?
そう、ユニバーサルで約2年間働いた。 ラッパーとしてやっていけなくても、音楽ビジネスに携わって、業界の仕組みを知ろうと思って。
―その後、2010年にリリースした曲「Kaisa Mera Desh(カイサ・メラ・デッシュ)」がYouTubeでバイラルヒットし、インドで最も視聴されたミュージックビデオの1つとして第2位のランキングを獲得したそうですね。
うん、それ以前にも曲を出してはいたけど、多くの人に注目されたのはそれが初めてだね。ヒットするなんて予想してなかったからびっくりだったけど、それがきっかけでもっと頑張ろうと思った。 でも、その頃もまだインドのヒップホップはそれほどメジャーではなかったから、他の仕事を続けてた。 その後ユニバーサルと契約することになって、2014 年にファーストアルバム「Sellout(セルアウト)」をリリースして、2017 年に今のレーベル/マネージメント「Kalamkaar(カラムカー)」と契約した。
―そのレーベルはヒップホップに特化したレーベルなんですか?
そう、インド初のヒップホップレーベルで、 今は6人のアーティストが所属してる。例えば インドで大人気のRaftaar(ラフタール)や、ヒップホッププロデューサー兼シンガーのDeep Kalsi(ディープ・カルシ)とかがいる。 彼らは長い間一緒にやってるチームのように感じるし、楽しいよ。
―では、これまでのキャリアを振り返ってみて、一番大きなターニングポイントを挙げるとしたら、何だと思いますか?
大きな転機と言えるかどうかはわからないけど、最も大きな出来事は 2019 年にあったことかな。「Freeverse Feast(フリーヴァース・フィースト)」という曲をリリースした後、一気に状況が変わり始めたからね。 これまでいろんなラッパーが出ては消えてを繰り返してきた中、僕はこの曲がうまくいって、パンデミックの間もその後も、ラッパーとして一貫性を保つことができている。
―最新曲「Joota Japani(ジュータ・ジャパニ)」のミュージックビデオは東京で撮影されていましたね。この曲はインドの昔の有名な曲「Mera Joota Hai Japani(メラ・ジュータ・ハイ・ジャパニ)」からサンプリングされたものだと、ある記事で読みました。 どこからそのアイデアを得たのですか?
「Joota Japani」は「靴は日本製」って意味なんだけど、このアイデアはヒップホップから来てるんだ。ヒップホップではみんな(自分が身につける)ブランドとかについてラップするじゃない? 「Mera Joota Hai Japani(オイラの靴は日本製)」ではブランドについてではないけど、自分の靴が日本から来てることを歌ってる。そうやって自慢するってすごくヒップホップらしいと思って、あの曲をサンプリングすることにしたんだ。
―それは素晴らしいアイデアですね!じゃあ、ミュージックビデオを撮影した時は日本製の靴を履いたんですか?
うん、Bapeを履いたよ。
―ナイスです。ミュージックビデオを東京で撮影した経験はどうでしたか?
最高だった。 監督のKen Haraki(ケン・ハラキ)は素晴らしい仕事をしてくれて、とてもいい作品になった。 インドの人たちからも、いい評判を得てる。
―海外とか日本ヒップホップは聴きますか?
うん。 日本のだとAwichとか、Yuki Chibaも昔からよく聴いてる。Yellow Bucksも聴いたことがある。
―日本人のラッパーの才能についてはどう思いますか?
素晴らしいと思う。 どんどん新しい曲が出てきているし、いい感じだね。
―コラボレーションしてみたい日本のアーティストはいますか?
うん、実はもう動いてるプロジェクトがあるんだ。近いうちにわかるよ。
―では、あなたのように成功したいと思っている若手のラッパーにアドバイスをするとしたら?
スキルを磨き続けて、やり続けてほしい。 時には大変に感じることもあると思うけど、長い目で見たらスキルは上がるし、いつか君の時が来る。
―落ち込んだ時は何をしますか?
(リリックを)書く。 その経験を書いて、自分の気持ちが整理できる。最良の方法だね。
―ご自身の音楽スタイルを一言で表すと何になりますか?
Heavy。 俺はリリックを重視してる。
ーかっこいいですね!では、最近よく使う言葉やスラングは?
「Hola Amigo(オラ・アミーゴ/スペイン語で「やあ、元気?」の意味)」、数か月前に「Hola Amigo」という曲を出したんだけど、周りのインド人の中で流行ってるんだ。
―スペイン語が出てくるとは意外でした(笑)。では、現在取り組んでいる新しいプロジェクトがあれば教えてください。
いくつか小さなプロジェクトに取り掛かってる。うまくいけば、数か月以内にお知らせできるよ。
―今後達成したい夢や目標はありますか?
これからはもっとインターナショナルに自分の存在を広めていきたいと思ってる。今はそれに向かって頑張ってるところだ。 今回みたいに、東京に来てショーをするのはその第一歩だね。
―では最後に、KR$NAさんにとってヒップホップとは?
人生だ。 自分の人生のすべてをヒップホップに捧げてきたから。
「PLAYCODE(プレイコード)」は、日本のヒップホップシーンの成長、アーティストの発掘・育成、マーケティングサポートをするために誕生した、新しいインプリント(ブランド)です。従来の音楽事務所や音楽レーベルとは異なり、アーティストの独立性を保つことを目指しており、アーティストの音楽性や音楽活動を尊重しながらマーケティング活動をサポートします。主なサービスとして、ヒップホップアーティスト向けの専門知識を活用したマーケティング戦略の立案と実行、自社開発テクノロジーを活用したデータ分析とオーディエンス開発、また資金支援や音楽配信を提供します。さらに、150以上のデジタル音楽プラットフォームとの強力なパートナーシップにより、ヒップホップアーティストの楽曲がより多くの人々に届くためのサポートも行います。
「PLAYCODE」の名前の由来は、「Playful(遊び心・プレイフル)」と「Code(暗号・コード)」という2つの言葉から着想を得ました。「プレイフル」とは、多くの人々に受け入れられやすく、親しみやすいことを意味し、一方で「コード」とは、人生を生きる上での多くの障害物を乗り越え、自らが解き明かすべき暗号のようなものを象徴し、ヒップホップというジャンルを通して、音楽市場をより高いレベルに発展させることを目指しています。
「PLAYCODE」は、アーティストが独立性を保ち、創造性を追求し、またキャリアを向上できる適切な仕組みづくりを行ってまいります。