MFS

ラッパー歴3年にしてビッグチャンスを掴んだMFSの、自由でフリーキーな生き様

Text & Photo: Atsuko Tanaka


最も注目を集める若手ラッパーの一人、MFS。二十歳の頃、生まれ育った東京から大阪に移り、仲間に勧められラップを始める。その半年後の2020年7月にファーストシングル「BOW」、そして11月にEP「FREAKY」をリリース。低音ヴォイスを活かしたタイトル通り“フリーキー”な音楽スタイルと、独特なルックスでシーンに大きな存在感を放っている。昨年は「BOW」がアクションゲーム「Overwatch 2」に起用され、世界でバイラルヒットという快挙を遂げた。さらなる活躍に期待がかかるMFSに、彼女の半生をはじめ、キャリアをスタートした頃のことや今後の展望などを聞いた。


―生まれ育ちは東京とのことですが、どのような環境で、どのような子供時代を過ごしましたか?

母親がR&Bやヒップホップが好きで、家ではいつもそういう音楽が流れてました。なので音楽とかダンスは小さい頃から好きでしたね。でも、だからと言って自分からディグったりするわけじゃなくて、基本はお母さんが好きなデスチャとか TLC とか、あとは日本のアイドルグループや当時流行ってた音楽を聴いたりしてました。

 

―中学生の頃はどんな日々を送っていましたか?

中学校は通ったり通わなかったりみたいな感じでした。私、学校って通っても通わなくてもいいと思ってたんですよ、義務教育を知らなくて(笑)。お母さんも自由な感じの放任主義で、私やお姉ちゃんが何か知りたいことがある時は全部自分たちで見つけて勝手にやるみたいなスタイルで。なので学校に行かない日は図書館に行って雑誌を読んだりするのが好きでした。

 

―それで中学は無事卒業できて、高校へ?

ギリギリ卒業できて、高校は私みたいなあまり学校に行かないような子達のチャレンジングスクール的な、一応全日制なんですけど結構自由な学校へ行って。そこで自分がそれまで関わってこなかったタイプの子、例えばアニメが好きな子とかバンギャみたいな子、ヤンキーっぽい子だったりとかと交流して、視野が広がった感はありました。

―当時なりたいものはありました?

中学の頃は、周りに演技とかモデルをやってる子が多くて、ハーフタレントが出てきた時期でもあったし、何か目立ったことをしたいなとは思いつつも、見た目的にまだそういう感じじゃなかったというか。雑誌がずっと好きだったんで、高校生の時に雑誌の編集者になりたいと思って、卒業後はそういうのが学べる専門学校に行きました。

―どんな雑誌が好きだったんですか?

カルチャー誌とかファッション誌ですね。カルチャー誌だったら 「STUDIO VOICE」 とか「Hot-Dog」「BRUTUS」「POPEYE」とか、ファッション誌だったら「NYLON」「GINZA」とか。でも基本的にはメンズっぽいのが好きでした。

―それでその専門学校に入って。どうでした?

それが、奨学金を借りて行ったんですけど、全部お酒とフェスに溶かしちゃって。当時は年の離れた大人たちと遊ぶのが好きで、めっちゃ遊んでたんです。それで後期の学費を払えないってなって、結局家族に払ってもらったのに、そのお金も溶かしてしまって。来年からどうしようってなって、もうこれ以上通うことはできないと思ったタイミングで、今一緒にやってるクルー(THA JOINTZ/ザ・ジョインツ)のメンバーと出会って、大阪に行こうってなったんです。逃げじゃないけど、目の前の現実がちょっと退屈すぎて。

 

―学校はつまらなかった?

雑誌編集みたいなコースに入ったんですけど、課題の内容が面白くなくて。勝手にホームレスを取材して、その内容を発表するとかやってました。担任の先生はめっちゃいい人で理解してくれましたけど。

ーそして大阪に。そもそもJOINTZのメンバーとはどういう風に出会ったんですか?

最初SNSでお互いの存在を知って、大阪に行ったことがなかったんで友達と行ってみようって行ったら、めっちゃ楽しいじゃんってなって、学校をやめて一か月後に引っ越しました。私って本当に後先考えずに行動するタイプなんですよ。

 

―それが2019年?ラップし始めたのもその頃ですよね。

3月に引っ越して11月くらいにラップを始めました。それまでリリックを書いたこともラップをしたこともなかったですけど、周りの人にちょっとやってみたら?って言われてそれっぽくやってみるみたいなスタートでした。

 

―その翌年にファーストシングル「BOW」をリリースして、ラッパーとしてのキャリアがスタートします。それでMFSさんもJOINTZのクルーの一員になった感じですか?

ですね、最初からJOINTZのメンバーに受け入れてもらってたわけじゃなく、私がBOWを出してライブしたりするようになって、JOINTZとしてもやっていくかみたい流れだった気がします。

―JOINTZはMFSさんにとってどんなクルーですか?

本当にこんな人たち見たことないって感じです。良くも悪くも自由すぎるというか、JOINTZって許しあいのクルーなんですよ。例えば私がやっちゃったって思うようなことをしてもみんな許してくれるし、その分私もみんなのことを許せるみたいな。それに私は飾るのがあんまり好きじゃないんですけど、そのノリというかグルーヴみたいなものもフィットするし。アホだけどみんなめっちゃ優しくて、最高な人たちです。

 

―いいですね。ところで「BOW」を出して、最初の頃から注目されているのは自分でも感じてました?

そうですね、注目してもらってるのは感じつつ、本当にこれでいいんかなと思いながら、来た仕事を断らずやってみようっていう感じでやってました。例えばレッドブルの「RASEN」に出たのは、BOWをリリースして2ヶ月後だったし、この3年間はずっとそんな感じですけど、最初からそういう機会を与えてもらえたことや、ちゃんとギャラをもらってライブをやらせていただいてることとかも、本当にありがたいことだと思ってます。

  

―プレッシャーはありましたか?

それはすごく感じてました。もともとラッパーになりたいとか、音楽を作るのが大好きでラップを始めてないし、最初は曲を作るのにすごい時間がかかったり、やりたいたいことと自分のスキルがともなってなかったんで。一緒に仕事してる人たちは、みんな長いこと音楽をやってきてる人たちだし、私こんなところにいて大丈夫なんかなぁって、今でも時々思うことがあります。

―BOWはその後(2021年)アクションゲーム「Overwatch 2」に使用されたことがきっかけで、世界中でバイラルします。MFSさんにとっても大きな転機となったと思いますが、その時のことは覚えてますか?

覚えてます。でも実はこの話はスムーズに進んだわけじゃないというか、結構大きなトラブルがあったんです。もともとBOWはタイプビートで作った曲で、ライセンスリリースみたいな感じで完全にバイアウトしてなくて、そういうことをあまりよく知らないままゲームに使ってもらったので、色々あって全部解決したのが今日で(取材時)。だから嬉しいっていう気持ちよりも、どうしようっていう不安をずっと抱えてた感じでした。

 

―バズったものの喜べない状況が続いたんですね。

でも、これをきっかけにプロフェッショナルとしてやっていくことの厳しさを身をもって知ったというか、年齢的にもそういうタイミングだったのかなっていうのはあります。大人になんなきゃみたいな。

 

―無事解決して本当に良かったです。ちなみに海外で活動してみたいと思ったことはないんですか?

ないですね、思ったよりも中身が日本人なんで(笑)。まあでも、大阪に来た時と一緒で、行ってみて楽しいと思えば住んじゃうなんてこともあるかもしれないです。行ってみたい所はイギリスとか、アメリカとかたくさんあります。


―では、これまでリリースした曲で、BOW以外に思い入れのある曲があれば教えてください。

ファーストアルバム「FREAKY」に入ってる「MY SELF」ですかね。周りにラップしてみなよって言われて初めて書いた曲で、そこからスタートしたんで。大阪に引っ越す3日前に、母に「私、明後日から大阪に住む、25歳までにちゃんとする」って言って実家を出てきたものの、当時はお酒を飲むこと以外に何か出来ることって本当になかったし、自分のやりたいことがわかんなくなっちゃって、みんなと一緒にいても孤独感をすごく感じていて。そういう時期に、何も考えずに自分の正直な気持ちを書きました。

 

―今はおいくつになられたんですか?

25歳です。

 

―約束の年を迎えましたね。

そう、やべぇみたいな感じですね(笑)。去年は請求書も作れなかったので、今年はちゃんとしなきゃいけないタイミングというか、色々できるようにするしかないです。

 

―これまでの3年を振り返ってみて、ご自身はどんな風に成長したと思いますか?

音楽って一人じゃ作れないし、音楽以外のメンタル面も一人じゃ保てないし、周りの人に支えてもらっていることをすごく感じた3年間でした。あと、昔は色々やっても長続きしなかったけど、今は継続できる力がちょっとはついてきたかなと思います。

 

―では今までの活動を通して最も嬉しかったことは?

前はバイトしながら音楽をやって、大変というか辛い時期もあったけど、今は音楽だけに集中できる環境になって、心に少し余裕ができました。なので、今こういう環境にいれることが一番嬉しいです。

 

―逆に挫折を感じたり、悩んだり落ち込んだりすることはありますか?

挫折ではないけど、ストイックになれないことが小さい頃からのコンプレックスで。周りは当たり前に音楽を作っている人が多い中、私はラップすることに必死だったから、こんなんで大丈夫かって思うことがよくありました。でもBOWが海外でヒットして若干自信を持てるようになって、プレッシャーも感じてますけど、前みたいに音楽業界に対しての“お邪魔します”感はちょっと抜けてきたかなと思います。

―ヒップホップは男性が主流な社会ですが、女性が故に感じることは何かありますか?

ありがたいなって思いますね。正直男でこのラップで行けたかって言ったらどうなんだろうと思うし、ミックスのラッパーも私が出た頃にバッと増えて、そういう要素とかタイミングが合って今こういう立場に居れるのかなと思うんで。だけど、別に男と張り合うような女性像を理想としてるわけじゃないし、女だからこうしたいとか、男の人に対してこう思ってるとかも特にないです。

―MFSさんがラップを始めた頃と今を比べてヒップホップシーンは変わったと思いますか?

マジで流行ってるなと思いますね。今まではガチの音楽好きの友達とは「あのラッパーかっこいいよね」とかって話ができたけど、今は、昔はラップを全然聴いてなかった友達とかも、「めっちゃこのクルー好きなんだよね」って言ってきたりするんで、いろんな層に浸透してきてるなと。シーンの中では新人をフックアップしていくみたいな雰囲気もあるし、ラッパーが増えてることもすごく良いことだと思います。

 

―日本のシーンにおいて変わったらいいなと思うことは何かありますか?

新人のフックアップはしてるけど、メインで出てる人たちはあんまり変わってないのかなって思うので、もうちょっとかっこ良さで選んだらいいのになと思ったりするところは若干あります。でもそんなに文句はないです(笑)。

―ご自身の音楽スタイルを一言で表すとしたら?

ファーストアルバムのタイトルと一緒で“フリーキー”かなって思います。元々私はヒップホップでがっつり育ってきただけじゃなくて、色んな音楽やファッション、人が好きっていう、軸がないことが私の軸みたいなところがあるし、音楽スタイルも絶対にトラップというわけでもないし、もっと色々やれると思うから、今のところはフリーキーだし多分ずっとそうなんだと思います。

―自分のリリックで特に好きなものは?

先ほども挙げた「MY SELF」という曲の、「LikeをLoveで返せるような人に LoveをBig loveで返せるような人に」です。自分で初めて書いたリリックだし、素直な気持ちをまた思い出させてくれるから。

 

―リリックを書く時に気をつけていることや大切にしていることは?

前は頭にポンって浮かんだこととフローが合ってれば、意味が分かりにくくてもいいと思ってたんですけど、他の日本語ラップを聞いてると意味が分かるしかっこいいんで、私ももうちょっと分かりやすいラップをしようって思うようになりました(笑)。

 

―声がすごく特徴的ですが、自分の声は好きですか?

そうですね。めっちゃ好きってわけでもないけど、私は低い声のラッパーが好きだから、自分の声もいいかなと思います。

 

―自分のMVで一番好きな作品と印象的なポイントを教えてください。

「RETAKE」っていう曲のMVです。BOWと同じ監督が撮ってくれて、MVに出てくれてる人達は、私のロゴやジャケットデザインを作ってくれている子だったり、家にもよく遊びに来るような仲のいい友達が出てくれてて、かっこいい絵が撮れたので結構自信ある MV になりました。私は 21 Savage(トゥエニーワン・サヴェージ)が好きなんですけど、彼が持ってるダーク感みたいなのを出せたと思うし、曲と見せたいイメージがフィットしたと思ってます。

―では、最近MFSさんが一番よく使う言葉を教えてください。

リリックでもたまに言ってるんですけど「助かります」っていう言葉はずっと使ってます。何か褒められたり助けてもらったりとかして、否定も肯定もできない時に、「助かります」はちょうどいいかなって。

 

―ファッションは、最近はどんなスタイルが好きですか?

上品さの中にストリートっぽさがあるのが好きです。そういう感じを、ハイブランドじゃないもので作るみたいな。ブランド品はあんまり買わないです。

 

―ご自身が思う自分はどんな人?他人が思う自分とギャップを感じることはありますか?

本当に適当でいつも感覚で動いてるので、自分自身のことを言葉にするのはすごく難しいです。周りにはどう思われてるんですかね、思ったよりギャルとかって思われてるのかな。あとは気分屋とか。 

 

―これだけは他人に負けないと思う点は?

振り幅の広さは負けないかなって思います。絶対にこれっていうのがないからこそ何でも出来るというか、考えずにやろうとするところですかね。

―MFSという名前の由来について教えてください。Mother Fucking Savageの略だそうですが、かなりハードコアですよね(笑)。

ラップ始めた時のインスタのアカウント名がMother Fucking Savageだったんで、頭文字をとってMFSにしました。昔はしょっちゅうインスタネームを変えてて、例えば「ワンワン大好き」とか、本当にそれやめたほうがいいよって人から言われるレベルの名前(笑)。そういうふうに付けてた中の最後がMFSでした。

 

―(笑)。ところで、お蕎麦が好きなんですよね。これまで何店舗くらい行ったんですか?中でもお気に入りはありますか?

エリアで言うと祐天寺、学大、中目、三茶、下北、渋谷とかのお蕎麦屋さんはほぼ行ったと思います。中でも神泉にある「神山」ってお蕎麦屋さんは、高校生の時にずっとバイトしてた所で、それがきっかけでめちゃくちゃ蕎麦好きになったので、そこが一番好きです。

 

―では、最近気になるアーティストや、よく聴いている曲などは?

去年は、Elle Teresa(エル・テレサ)さんの「Sweet My Life」はフルでずっと聴きまくってました。前にライブで一緒だったことがあるんですけど、歳がちょっと近いのもあってか全然喋れなかったです。でも今度の「POP YOURS」で同じ日に出演するので、その時は話しかけてみたいなって感じですね。ライブを見れるのがめっちゃ楽しみです。

 

― MFSさんはシャイなんですか?

相手によるけど、同い年や年上の人だと、どんな感じだろうって様子を見ちゃうのはある。でも、エルさんと仲良くなれたら最高ですね。っていうか、この前彼女とめっちゃ仲良くなる夢を見たんですよ。目が覚めた後も、しばらく余韻が続いて嬉しかったです(笑)。

―今後フィーチャリングしてみたい人や、一緒に曲を作ってみたいプロデューサーは?

めっちゃいます。でもあんまり名前は出したくないです、勝手に言ってるこいつって思われるから(笑)。自分からフィーチャリングをお願いすることが本当になくて。できれば自然に起こるのがいいです。

 

―今世界で起こっていることで気になることを教えてください。

気になるというか恐怖を覚えますよね。いろんな事件を見てると、人の欲でこんなに狂うんだって思うことがあるし、事実かどうかもわからないこともたくさんあったり。どんなことがあってもおかしくないので、怖い世の中ですね。

 

―将来住んでみたい国や場所はありますか?

今まで私は自分のルーツをあまり考えてこなかったんですけど、自分のお父さんに会いに行くじゃないけど、アメリカに行ってみたいというのは若干現実的に考えるようになってきました。自分のルーツは日本だけじゃないので、知りたいなと思います。

 

―これから実現したいと思っている夢や目標を教えてください。

今この状況にいれることが夢みたいな感じです。もともと私は競争心が全くないし、飽き性でストイックじゃない性格なんで、あまり目標というのはないんですけど、流れに身を任せてこの状況を続けていきたいと思ってます。あと、今はまだ具体的に言えないですが、近いうちビッグニュースを発表できると思うので楽しみにしていてください。

 

―最後に、MFSさんにとってヒップホップとは?

生きる意味っていうか、私がいる意味になるものですかね。ヒップホップや音楽があれば楽しく生きられるので。

Special Thanks: COFLO

大阪市西区南堀江1-21-9

06-6710-9636