Red Eye
「ラッパーとして最年少で武道館のステージに立つ」。大阪住之江育ちの孤高なラッパーが抱く野心と目指す未来
Text & Photo: Atsuko Tanaka
ELITE SESSIONS第2回目のゲストは、Red Eye。大阪市の住之江区で生まれ、やんちゃな青年期を過ごした彼がヒップホップ に出会ったのは13歳の時。地元でライブ活動を重ね、高校生ラップ選手権に出場したことで、その名は広く知れ渡る。そして第16回(2019年)で見事優勝を勝ち取り、同年にリリースした「少年A」と「Dear Family」はiTunesのヒップホップジャンルで一位を獲得した。さらにOVERKILLとコラボした「POCKET」はYouTubeで当時260万回再生を記録(2021年に更新しなおされ、現在は80万再生回数)。また、去年の夏に出した2枚組アルバム「LIVING」と「LEGEND」では、ヒップホップ とレゲエ界の重鎮たちとコラボレーションし、大きな反響を呼んだ。来月行なわれるワンマンライブを目前に控えるRed Eyeに、幼い頃のことから、ラッパーを目指した理由や活動を通して学んできたこと、ワンマンに込める思いなどを聞いた。
―まずは幼少期の頃のことをお聞きしたいです。大阪市住之江区で育ったそうですが、どのような環境で、どんな子供時代を過ごしましたか?
環境はヒップホップをする上で最適だったかなと思います。世間的には良くないことでも、ヒップホップではそれが逆にエリートになったりするんで。自分の時代は特にそうでしたね。小さい時は好奇心旺盛で、活発な子でした。3つ上のお兄ちゃんが野球をしていた流れで僕も始めて、最初はそんなに好きじゃなかったけど、負けず嫌いなんで途中から本気になってやってましたね。
―ご両親はどんな方で、どのように育てられましたか?
お母さんはめっちゃ優しくて、自分を犠牲にしてでもちゃんと子供を育てるみたいな、真面目で忍耐強い人だと思います。お父さんは僕が2、3歳の頃に家を出てって、中2の頃までは4年に1回帰ってきて、ちょっと住んでまた出ていくみたいなのを繰り返してました。僕に対しては優しいとこもあったんで、いいイメージも残ってるんですけど、お母さんとの間にはいろいろあったから、そこに対しては許せない感情がありました。
―小さい頃になりたかったものは?
いっぱいありました。興味がある程度で本気になってはないですけど、料理人とか、美容師とか、目につく職業は全部やってみたいって感じで。あと、喧嘩が好きだったんで、戦って全国制覇しようと思ってました。インターネットで色んな学校の子と繋がって、あの学校のあいつと戦おうみたいな、友達らと喧嘩して鍛えて(笑)。
―その頃から既に全国を目指していたとは!中学生の頃、ヒップホップに出会う前はどんな日々を送ってました?
中学に入ると同時に野球を辞めて、格闘技を始めたりバイクに乗ったりして、夏ぐらいに薬物を始めてからは段々と本格的に悪い方に進んでいきました。
―それは、そういうのに憧れを持っていた?
まず、お父さん自身が不良で、そのお父さんとずっと会ってなかったから、自分が不良をして悪くなれば会えるって思ってたんです。絶対にお母さんに対して謝らすって、自然とその道に行った感じで。だけどその世界に行けば行くほど、お父さんの名前を聞くようになって、かなりの不良だってことを知って。どこに行っても「誰々くんの子供やったんや!」って言われるんですよ。それで助かった部分もあったけど、それが嫌になって、不良になるだけじゃお父さんを超えるの無理だって思ってた時にD.Oさんの「悪党の詩」を聴いて、これや!ってバーンとハマったんです。
―お父さんを超えられる何かをずっと探していて、たまたまそれがヒップホップだったと。
僕は勉強もしてなかったし、中学校の時は不良で全国制覇をしようって本気で思って、色んな地域の子と喧嘩しに行ったりしてたんで、音楽のことは全く頭になかったですね。でもD.Oさんをきっかけに、これやったら全国に自分の名前を響き渡せられるって思って。
―D.Oさんの曲を聴いたのは、先輩の勧めだったんですよね。
そうです。D.Oさんのことを好きな年上の先輩で、ギャンググループみたいなのを作ってた人たちがいて、その人らに教えてもらって聴いて、バリヤバいなって思いました。聴いていくうちに、俺の方がヤバいことしてんで、悪さ自慢だったら負けてへんでって思って。
―その時にラッパーになるって決めたんですか?
最初はかっこいいなって、こんなんがあるんだっていうくらいで、そのうち高校生ラップ選手権とかMC バトルがあることを知って、面白そうやなって思って。それで曲を聴いて真似したり、リリックを書くようになりました。適当にビートを流してラップしてたら、周りの子も遊びで一緒にやるようになって。今考えるとめっちゃダサいラップなんですけど、そんな感じの始まり方でした。
―初ステージを踏んだのは中2の頃だったそうですが、随分早いですね。どんなイベントでどのような経緯で出ることになったんですか?
ある時友達何人かと公園でラップしてたら、30手前くらいのBボーイみたいな人たちが参加してきて、その人たちがやってるサイファーに誘ってもらって。ラップが上手い人とやって上手になりたいと思ってたんで、しばらく一人で通ってたんです。そうしたらライブをするから一緒に出てみぃって誘ってくれて、大阪の緑橋にある戦国大統領というハコで初ライブをしました。
―緊張しました?
しましたね、めっちゃ。
―それからライブの回数を重ねていった?
はい。そのハコは40、50とかのおっちゃんしかおらんような、大阪のスーパーアンダーグラウンドみたいな所で、ライブしたかったらこんだけ呼べみたいなノルマがあって、初めてのライブに30人くらい連れていったんですよ。そうしたら、お前ばりヤバいやんけってなって(笑)。最初はオープニングだったのが、少しずつ段階を踏んでメインに上がっていきました。
―その若さですごいですね。その頃最も影響を受けたアーティストは誰でしたか?
やっぱりD.Oさんですね。自分がその道を進んできて思うんですけど、ホンマの不良って音楽はできないんですよ。ラップってリズムの取り方とかも難しいし。でもD.Oさんはホンマの不良なのに、ラップでもスキルがあってめちゃヤバいなって思って。荒削りじゃなく繊細な感じで、すごい影響を受けました。
―その後、高校生ラップ選手権に出場されますが、どんな思いで挑んでいましたか?
名前を全国に轟かす一心で挑戦しました。初出場の時は、絶対イケるって思ったし、とにかく俺のことを知ってくれ!みたいな感じでした。それでベスト4まで行ったんですけど、その次に出た時は一回戦負けしたんで、3回目が一番気合い入ってたかもしれないですね。これでかませんかったらラップ辞めなあかんくらいに自分を追い詰めてました。
―それで4回目の第16回で優勝されて。どうでした?
もう絶対に勝たなあかんみたいな状況だったんで、優勝してめっちゃ嬉しかったわけでもなく、当たり前のことを当たり前にしたって感じで、周りからも褒められた記憶はあんまりなくて。でも、ラップ選手権に出たことでRed Eyeっていう存在を世間に知ってもらえたし、めっちゃ感謝してます。僕は高校に行ってないから、これが自分の青春だと思ってて、良くも悪くも楽しかったです。
―その後はどういうアクションを起こしていったんですか?
その頃はもうバトルには興味がなくて、もっと曲制作の方に力を入れていこうと思って、仲良くなったトラックメーカーや、その頃知り合った下拓さんからトラックを買ってレコーディングさせてもらってました。
―大きな転機となった曲を挙げるとしたら何になります?
「POCKET」かなと思います。
―「POCKET」はどんなアイデアから始まったんですか?
書きたいことを書こうっていう感じでしたね。今は昔より人の意見を聞けるようになったけど、当時は今より尖ってたんで、他の人にプロデュースされるのがあんまり好きじゃなくて、自分のやりたいようにやってました。それである時、鎖GROUPのブラッキーさんからOVER KILLとやったら面白いと思うよって 紹介してもらって、トラックを送ってもらった中からいいと思ったものを選んで、一緒にスタジオに入って意見を出し合いながら作りました。
―「POCKET」や「THUG LIFE」もそうですけど、MVが結構強烈なイメージですよね。コンセプトはどのように決めていったんですか?
監督さんやカメラマンさんと、こんなことしたら面白いんじゃないってアイデアを出しながら組み込んでいった感じですね。周りからはかっこいいやんって、ヤバいねって言われることが多くて嬉しかったです。
ーでは、去年リリースした2枚組のアルバム「LIVING」と「LEGEND」についてお聞きしたいです。周りの反響はいかがでしたか?
ファンの方というよりは、関係者からの反応が思ったよりありましたね。このアルバムを出す前は、自分が若いのもあって、あまり本気にされてないと感じることが多かったんですけど、そういうのが一切なくなって仕事がしやすくなりました。レジェンドの方たちとちゃんと仕事して、認められたのかなと。
―レジェンドの方々は、オファーしたら快く受けてくださったんですか?
皆さん二つ返事でいいよって言ってくれました。もし僕が逆の立場で、自分の子供と変わらないような歳の子に一緒に曲作りたいですって言われたら、もうちょっと頑張れってなるんじゃないかと思うんで(笑)、本当に皆さん心が広いなって思います。自分が影響を受けた人たちに、認めてもらえたことは本当に嬉しいですね。
―制作中は体重が12キロ落ちたそうですが、それはプレッシャーで?
プレッシャーというよりは、集中しすぎるとそれしか考えられなくなって、食欲がなくなるんです。生活リズムが狂って、ジムにも行かなくなるし、動かんから食べる量も少なくなって。最中は曲を書くことに必死なんで気付かなかったですけど、あとになって体重戻さないとヤバいってなりました。
―レジェンドたちからはどんなことを学びました?
人としての素晴らしさや、制作期間が限られてる中ですごいバースを出してくるスキルもすごいし、皆さんが最前線で活躍してきた理由がわかりました。レゲエの方たちは、一本録りでしかもめちゃくちゃ早いとか、全部経験してきたからこそできることなんだろうなって感じることが多かったです。
―特に印象に残る出来事とか、どなたかの言葉とかありました?
スタンスがかっこいいなと思ったのはANARCHYさんでした。二人で話しながら録っていったんですけど、ANARCHYさんは1時間ぐらいで4、5回録って、これでオッケーやろ、はい仕事終わり!って。完璧にかまされたなって感じました。他の皆さんも、お互いの特徴やリズムの取り方とかにズレがあっても寄せてくれたりして、それもやっぱり経験があるからこそできる技なので、ありがたかったです。
―2度目となるワンマンがもうすぐ開催されますが、どんな心境ですか?
2年前に初ワンマンをやって、予定ではその翌年にツアーで5ヶ所回るはずだったんですけど、コロナで何度も延期を繰り返して結局中止になって。今回やっと実現できそうで、めっちゃ楽しみです。自分が今までやってきたことを見せたいと思ってます。
ー来る方たちにはどんなことを期待して欲しいですか?
自分が何を伝えようとしているのかを意識して観て欲しいです。そうすれば普通に観るより心に刺さるんじゃないかなと思います。
―これまでの活躍ぶりを振り返って、ご自身はどんな風に成長したと思いますか?
人間として成長したと思います。考え方はまだこり固まってる部分もあるんですけど、昔より視野が広がって、全体を見渡せるようになってきましたね。あと、感情のコントロールを少しずつできるようになりました。
―人間的に成長したというのは具体的に言うと?
ラップを始めた頃は、不良をやりながら両方いけると思ってたんですけど、ちゃんとそこは分けなあかんって思って、どっちの道に進もうかって真剣に考えた時が自分の中での1番の転機で。15歳の、高校生ラップ選手権を優勝するちょっと前の頃ですけど、何がかっこいいかっていう考え方もその時に一気に変わったから、それを境にすごい成長したと思います。
―では、活動を通して最も嬉しかったことは?
自分が頭の中で描いてた理想の夢が叶っていくことですね。D.OさんやANARCHYさんと一緒に曲を作ったり、他のレジェンドの方たちとも今回のアルバムで共演させていただいて、今まで画面越しに見てた人たちと同じ熱量で仕事して、それが作品になって本当に嬉しいです。
―逆に挫折を感じたことはありますか?
挫折ではないですけど、一番苦しかったのはラップ選手権に出て、知名度はついてもお金が追いついていってなかった頃。ああいう大会に出てかましたら、下手なところでバイトとかできないんですよ。世間の人にはわからないことかもしれないけど、「こんなとこで働いてる」みたいな見られ方は間違いなくするんで。普通に考えたら高校生がお金残ってるはずもないのに、周りにはお金を持ってるようにも見られるし、そこはめっちゃ葛藤しましたね。今思うとよく頑張ったなって思います。
ーでは Red Eyeさんが曲を作る上で一番大切にしていることは?
嘘をつかないこと。
ー物怖じせず思ったことをハッキリおっしゃっる印象がありますが、やっぱり嘘をつけない性格なんですかね。
もちろん場所とタイミングは考えるんで、めっちゃ空気読めないみたいな感じになることはないと思うけど、思ってることははっきり言います。いくら周りがカッコいいって言ってることでも、自分が見てダサかったらダサいし。ちゃんと言ってあげへんかったらダメやと思うんですよね。崇めるのもいいけど、ほんまにかっこいいか?とか、ちゃんと考えてみたら?って。誰かが言わんと変わらないと思うし、一応言葉は選んで話してるつもりなんで、そこはギリギリをつこうかなと。
―活動を始めてから約5年、当時と今を比べてヒップホップシーンは変わったと思いますか?
昔はまだそこまでシーンができてなくて、今ヒップホップが少しずつ新しく形成されていってるイメージがありますね。でも、ヒップホップに対する価値観とか考え方はズレていってるなって思います。
―と言うのは?
まず思うのは、ヒップホップをやってる人で不良が全くいないこと。それは僕の中では超衝撃的で。今のシーンは、僕からしたら音楽をより聴き込んでるオタクしかいないように見えてしまって、僕が思うヒップホップではないんです。もともとアメリカでヒップホップが生まれたのって、差別とか貧困があったりとかだと思っていて、日本はそこまで貧しくないけど、自殺大国だったりいろんな問題がある中のリアルなこととか、しがらみや抱える心の痛みとかあるじゃないですか。そういうのが僕の中でのヒップホップというか。ヒップホップは向こうから来た文化だから、僕はヒップホップっていう一つの思想をいただいてやらせていただいてるつもりだけど、ただ向こうの真似をするんじゃなくて、あくまで日本の、日本にしかないヒップホップをするっていうのが、僕の中のヒップホップの定義で。今の時代はそれがないって思います。
―そういうのを見ていて、こう変わったらいいのにと思うことはありますか?
でも、僕みたいな考えはやっぱりちょっと偏ってるというか、これを貫き通してヒップホップとして世間に広がっていくのは難しいんですよね。だからビジネスにするんであれば、僕みたいな考え方ではダメって思われるかもしれないですけど、広がらなくても、僕が言ってることは忘れてはいけないことだと思ってます。
ーところで、常にニュースや経済のことなどをよくチェックされてるそうですね。
政治は気になりますね。世間でこんなことが起こってるとか、こんな法律が決まりそうなんだとか、普通にスマホを見る感覚でいつもニュースはチェックしてます。見てると嫌になってきますけど。
―では、ご自身の音楽スタイルを一言で表すとしたら?
生き様。
―自分のリリックで一番好きなものは?
難しいですね。一つには絞れないんで、パスで。
―自分のMVで好きな作品と印象的なポイントを教えてください。
「Dear Family」と、D.OさんとJin Doggさんとやった「POCKET」のリミックス。Dear Familyは当時捕まった親友に向けて書いた曲で、制作費が今よりかけられなかった中で、下拓さんと一緒に考えて、工夫しながら本気で向き合って作った作品なので、色んな思いが詰まってますね。POCKETは表現したい自分をしっかり表現できたと思ってます。
―Red Eyeさんはファッションも独特ですが、参考にする人や影響を受けた人はとかはいますか?
全くいないですね。D.Oさんの影響は大きかったですけど、誰かを参考にしたら似てしまうのが嫌で、この人をモデルにとか、この人になりたいっていうのがなくて。自分で感覚的にいいって思ったことをやるみたいなノリです。
―最近Red Eyeさんの中で流行っている、一番よく使う言葉は?
「孤高」っていう言葉が、最近自分の中でめっちゃフィットしてます。
―ご自身が思う自分はどんな人?
それこそ孤高な人だなって思います。
―他人が思う自分とギャップを感じることはありますか?
みんなが思ってるほど大人じゃない部分もあったりします。
―これだけは他人に負けないと思う点は?
絶対的な自信。周りから見たら、そんな根拠のない自信、どこから湧き出てくるん?って思われるかもしれないけど、自分でもわからなくて。勝たれへんと思う喧嘩はしないタイプなんで、音楽でほんまに負けるなって思うやつが出てきたら、多分辞めると思います。あと、自分の生かし方や見せ方は自分が一番わかってますね。もし誰か僕に入れ替わったとしても絶対無理で、自分だから自分を扱えてるし、自分の大好きさは誰にも負けへんと思う。
―尊敬する人はいますか?
SHINGO☆西成さんと下拓さん、あとは420RECORDZの裏方の若さん。みんな、気持ちで動く、自分を犠牲にしてでも人を助ける方たちです。僕は武士道とか仁侠とかの考えが好きなんで、そういう考えを持ってる人らを尊敬します。
―最近自分や周りに起きた出来事で一番笑えたことを教えてください。
おばあちゃんに、死ぬ前に一回だけでもいいからお寺に一緒に来てくれって言われて、3年目ぶりぐらいに電車に乗ったんです。その時に、おばあちゃんがナンパされたこと(笑)。僕、隣に座ってたんですけど、そのおっちゃんは僕が孫だって思わなかったみたいで。少しして気づいて、どっか行っちゃいました(笑)。
―今後フィーチャリングしてみたい人や、一緒に曲を作ってみたいプロデューサーは?
BACHLOGICさん、ラッパーだったらZORNさん。自分と同じようなスタイルで日本語ラップをやってる人たちで、カッコいい人たちとやりたいですね。
―将来住んでみたい国や場所はありますか?
海外に住みたいです。中国は一回行ってみたいなと思ってますけど、住むのはアメリカとかヨーロッパの方で、綺麗でおしゃれな街がいいです。そこまで詳しくないんで、いろいろ見て考えたいと思ってます。
―これから実現したいと思っている夢や目標を教えてください。
(ラッパーとして)最年少で武道館に立つことです。あと2年後、22の時に。自分の中ではもう見えてるんで、絶対に実現します。近いうちに拠点を東京に移して、そこで基盤を築いて武道館を成功させたら海外に行こうと思ってます。
―最後に、Red Eyeさんにとってヒップホップとは?
生き様であって、一つの思想だと思います。自分の考え方はこの5年でだいぶ変わってきて、これからも変わり続けていくと思うので、今後の成長ぶりも含めた僕の生き様を見ていって欲しいです。
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