The Apartment

開店: 2009年3月

業種: 洋服屋

地区: 東京吉祥寺

オーナーのモットー: 人生意気に感ず

The Apartmentオーナーの大橋

Text & Photo: Atsuko Tanaka

吉祥寺のメイン通りから1本入った路地に、黄色の看板が目を引く店「The Apartment」はある。国内外のストリートシーンやヒップホップヘッズからアツい信頼を受けている。オーナーの大橋は、東京の板橋区出身。少年時代は空手などのスポーツをやりながら、友達と遊んだりと活発に過ごした。ヒップホップとの出会いは、テレビ番組「ダンス甲子園」に出たダンスチームがかけていたHeavy D & the Boyz(ヘヴィ・D & ザ・ボーイズ ) の曲「Now That We Found Love」を聴いた時。サウンドのカッコ良さに興味を持ち、その後中学の同級生の兄からEPMDやRedman(レッドマン)などを教えてもらい急激にハマっていった。高校卒業後は夜間の大学に通いながら工事現場などで働く。リーマンショックで景気が悪くなり仕事が減ってきた頃、高校の同級生たちと起業して何かをやることになった。

―ある記事で、元々は銭湯をやろうと考えていたと読みました。最初から洋服屋をやる予定ではなかったんですね。

はい、僕は昔から銭湯によく通っていたし、コミュニティの人たちが集まっていろんな話をするカルチャーが好きなので、銭湯をやるのがいいかなと思ってたんです。でも実際やるとなると、法律面とか金銭的に難しそうで。それなら洋服とヒップホップはずっと好きだったし、洋服を介してヒップホップやニューヨークのカルチャーを紹介できたらいいなと思って洋服屋をやることにしました。

 

―場所に吉祥寺を選んだのはなぜですか?

他にもいろんなところが候補にあったんですけど、ニューヨークで例えるとソーホーとかミッドタウンにある洋服屋よりも、クイーンズやブルックリンのちょっと外れた所にある店のような、トレンドに左右されず同じスタイルでやるのがいいなと思っていて。例えば(クイーンズの)ジャマイカセンターのコロシアムモールにあるキャップ屋。あまりおしゃれとは関係なさそうな、頭にターバンを巻いた人たちがキャップを売っていて、フッドの人たちに支持されている。そんな感じの、人々の生活圏に近い場所がいいと思って探していた中で、僕は当時千歳烏山に住んでいたんですけど、レコードを買ったり、コーヒーを飲んだりしに吉祥寺に遊びに来ていたんで、この界隈に洋服屋があったらこの辺の人たちが支持してくれるかなと思って決めました。

―店をオープンする前にニューヨークに行ったことはあったんですか?

なかったです。先輩や同級生とかは前から行ってて、自分も行きたいと思ってたんですけど、ニューヨークって自分の中で宗教みたいな、メッカみたいな、存在が大きすぎて、実際に行って思っていたのと違ったら自分の核がなくなってしまうような感覚があって、ずっと行けなかったんです。でも店を始めるのに仕入れをしないといけないってことで、2009年に初めて行きました。

 

―行ってみてどうでした?

思っていたものの解像度が上がっていくみたいな、それまでは写真にBGM がついていたのが、匂いとか、現地の人の話し声とかが混ざって3D化していった感じです。ニューヨーカーのクールだけど優しさのある人情も感じられたし、本当に来て良かったと思いました。

 

―最初はどんなものを仕入れていたんですか?

それこそDr Jays(ドクタージェイズ)でセールになってるものや、Kmart(Kマート)で売ってる作業服、Foot Locker(フットロッカー)でスニーカーとか、古着屋で古着を買ったりしてました。当時は1ドル70円台だったから、向こうの店で買って、そのまま日本で売っても全然やれちゃってたんです。街でかっこいい人を見たら、どこで服を買ったのかを聞いて買いに行ったり、そんな感じで2ヶ月に一回くらい仕入れに行ってました。

―店は最初から結構順調に行ったんですか?

最初は全然ですね。仲間が買いに来てくれたりしてましたけど、2年間くらいは売上を買い付けに回すのに精一杯で、自分たちの給料は出ないみたいな。なので、それまで買いためたレコードを売って生活に回したり、夜に建築系のバイトをしたりしてました。でも当時ヴィンテージのRALPH LAUREN(ラルフローレン)とかTommy Hilfiger(トミーヒルフィガー)とかも扱うようになって、そういう店があまりなかったから注目されて、コミュニティ外の人たちも来てくれるようになっていって。それで2011年3月の頭にニューヨークに行った時、それまでにないくらい買い付けして、戻ってきたら次の日に震災が起きて。あの時はこれで終わりかなと思いました。

 

―そうだったんですね…。

それまでなんとかうまく店をやらせてもらったから、福島とか被災地から東京に避難しに来てた人達に上着をあげたり、岩手から注文が入ったらただで発送したり、チャリティTシャツを作って売上金を寄付したり、そうやって還元して店を終わらせるつもりでした。そうしたら、そういうのを見てくれていたお客さんが応援してくれて、買い物をしてくれるようになって、翌年くらいから良くなっていきました。

 

―店を続けてきた中で一番大変だった時期を挙げるとしたらその頃になりますか?

いえ、その時はそこまで苦しくなくて。ファッションってトレンドがあって終わってみたいなのを繰り返していて、自分たちはトレンド関係なく同じことをやってますけど、同業者を見ていると大体みんな同じタイミングで苦しくなっている感じがありますね。円安の今とかは買い付けできるようなレートじゃないですし、そういう意味で言うと今も苦しいし、ずっと大変と言えばそうですね。

 ―では、店の人気アイテムについて教えてください。

オリジナルブランド「STABRIDGE(スタブリッジ)」と様々なブランドとのコラボ商品です。店を始める前から仲間内でTシャツを作ったりはしていて、本格的に作るようになったのは店をオープンしてからです。一番最初はスポーツにフォーカスして、JANSPORT(ジャンスポーツ)とPOLO SPORT(ポロスポーツ)とSONY SPORTS(ソニースポーツ)をオマージュしたTシャツを作って出しました。それと、うちが作るもののデザインにはいつも意味を持たせているので、その意味をブログ等で解説したりしてました。

―最初に実現した大きなブランドとのコラボは?

「'47(フォーティーセブン)」というキャップのブランドとやったコラボかな。ハーレムにあるVault(ヴォルト)という店で買い付けをしていた時、'47のキャップを見つけて、面白いと思って仕入れるようになったんですけど、それをインスタにあげていたら、本国のマーケティング担当の人が見て店に来てくれて。彼らは、ブランドをストリートでファッションとしてどうにか広めていきたいと思っていたらしく、アドバイスを聞かれました。それで、若者と人気のあるブランド、当時だとSupreme(シュプリーム)が一番勢いがあったからそういうブランドをコラボすることを勧めたんです。その後彼らはSupremeとのコラボを成立させて、有名になっていきました。そんな感じでやり取りしていく中で、うちともコラボしようとなり、井の頭公園の動物園のスタッフキャップというていでキャップを作りました。

―面白いですね!他にも印象に残るコラボはありますか?

「Marmot(マーモット)」とコラボして、“Biggie(ビギー)”というジャケットを出した時ですね。2018年にニューヨークに行った時に、ある青年がBiggie欲しさにブライアントパークで発砲した事件があって、色々調べていったら、このジャケットをSupremeがサンプリングして、 “UPTOWN DOWN PARKA”として出していたことを知って。そんな経緯をお客さんにも伝えようと思ってブログに書いたら、それを見ていた「GOOD OL’」というブランドをやってる福田さんという方が、Biggieの復刻ものを出す時に一緒にやろうと声をかけてくれたんです。それがニューヨークでめっちゃ反響を得て、イーストハーレムにBiggieを着て集まる「Biggie Day(ビギーデイ)」というイベントまで発生して、Complex(コンプレックス)がそのことを記事にして話題になりました。

 

―それによってApartmentの存在も広まった?

そうですね、ニューヨークですごく認知されたと思います。

 

―いいですね!でも、海外の大きなブランドとコラボするのって簡単じゃないですよね?

全然簡単じゃないです。自分はこの店を始める前は洋服屋で働いたことがなかったから、どんな仕組みでアパレル業界が動いてるかわからなくて、展示会に行ってみようと思って行ったら、露骨に大きなブランドとは違う対応をされたりして。その時、正統法で日本の業界の中でやっていくより、ニューヨークとか現地の人とコミュニケーションを取ってでかいことをやる方がいいなって、早い段階からそうしようと決めました。

 

―正解でしたね。

自分は、例えばブーキャン(Boot Camp Click)のSean P(ショーンP)とか、ああいうキャラで、ずっと地元のフッドに住み続けているけど海外の人からも尊敬されてるみたいな、あの感じがかっこいいと思っていたし、うちみたいな吉祥寺の小さな店が渋谷にある大きな店とかよりデカいことができたら夢があると思ったんですよね。そうすることで街の人とかうちの店のファンの人たちが喜んでくれたらいいなと思って。

―素晴らしいです。では、これまで店で起きた出来事で、一番印象的な出来事を教えてください。

先ほど言ったような、ブランドとのコラボを出した時に、ニューヨークの連中が東京の人たちよりも反応してくれることが嬉しいですね。いつかニューヨークでポップアップをやりたいと思ってるんです。先ほどMarmotとのコラボの話をしましたけど、自分たちがコラボしたのは日本のMarmotだったんで、アメリカではあのジャケットは売れないんですよ。でもみんなeBayとかで2千ドルくらい出して買ってくれて。自分たちがやってることは海外の人たちに評価してもらえているし、向こうでやったらバズが起きる自信があるんで、いつかUSのMarmotとのコラボジャケットを作って、Paragon(パラゴン)とかで販売して、そこに行列ができたら嬉しいですね。

 

ーそれは楽しみですね!ところで、大橋さんはいろんなアイテムやものをコレクションしているそうですが、ご自慢のものはありますか?

ただ好きなものをずっと買い続けていたら長い時間を経てまとまりになっただけで、コレクターって感覚はないんですけど、NORTH FACE(ノースフェイス)を含めアウターとか、90年代とかのUS製のキャップはたくさん持ってます。

―では、店付近のエリアについて教えてください。

元々は「近鉄裏」という、新宿歌舞伎町と並ぶ歓楽街として知られていました。吉祥寺の中ではディープなエリアだと思います。

―最後に、今度初めてこの店を訪ねてみようと思っているお客さんにメッセージをお願いします。

うちの店に来た際には、吉祥寺の街を散歩して近隣のお店もハシゴしてみて欲しいです。飲食店で言うと、例えば駅前にあるハモニカ横丁の飲み屋や、TONY’s PIZZA(トニーズピザ)、Daps(ダップス)とかがおすすめです。ハモニカ横丁は戦後の闇市から始まってその雰囲気をキープしているんで、散歩をして雰囲気を楽しんでもらうのも良いし、夜は立ち飲みなんてのもいいと思います。TONY’s PIZZAは50年以上続く老舗の店で、マスターは60年代にタイムズスクエアのピザ屋で修行された方でとても話が面白いし、Dapsは今のニューヨークのバイブスを感じられていいですね。他にも井の頭公園があったり、レイドバックな雰囲気の街なので、是非楽しんでいただけたらと思います。