Text & Photo: Atsuko Tanaka
Henny K in Shibuya
―今日のファッションのポイントは?
今日は胸元を出して、ボディースーツにロングブーツを合わせることによって足が長く見えるようにしてます。いつも基本的に自信のあるパーツを出して、コンプレックスな部分はあまり出さないことが多いです。
―好きなブランドやファッションスタイルを教えてください。
スタイル的には落ち着いた色合いで露出の多い服が多いです。日本より海外の服が好きで、アメリカのFashion Novaというサイトが、Cardi B(カーディB)や海外のフィーメールラッパーとコラボして作った服を出したりしているので、そこで買ったりします。ジャケットやバッグは高めのもので、トップスにファストファッションを入れたりして、うまく組み合わせるようにしてます。
―ファッションスタイルを参考にしている人やサイトはありますか?
カイリー(Kylie Jenner)、カーディ、ミーガン(Megan Fox)とか、海外のフィーメールラッパーやセレブのファッションが好きです。インスタやミュージックビデオを見て参考にしてますね。でも、私がそういう格好をしてインスタとかに載せると、日本の人にびっくりされるんです。この前も、上半身裸にジャケットを着ていたら、「中、どうなってんの?」って(笑)。
ー世界で一番オシャレな人が多いと思う国は?
フランスだと思います。フランスは移民の方が多くて、ヨーロッパのおしゃれな感じとアフリカをルーツに持つ方とかのセンスが組み合わさっていると思うので。フランス発祥のファッションブランドも多いし、自分の周りでもセンスがすば抜けていいと思うのは、フランス人の子が多いかもしれない。音楽的にもフランスやUKはめちゃめちゃ好きです。最近だと、DC とかHardy Caprioとかをよく聴いてます。
―では、ファッション・ビューティーで欠かせないアイテムは?
ビューティーはネイル。ファッションはゴールドのアクセサリーが好きです。あとエアフォース1はめっちゃ持ってます。シーンによって使い分ける感じで10足くらい。スニーカーが好きでめちゃくちゃ持ってるってわけではなく、エアフォース1履いておけば大丈夫って思って。
―Hennyさんはめちゃ高いヒールのイメージでした。
ヒールも履きますけど、ライブとかでヒールを履くと壊れやすいんですよ。なので消耗品みたいな感じになってて。最近は割と作りのしっかりしてるものを買うようにしてますね。
―ライブの時もヒールを履いて踊ったりするんですか?
そうですね、ライブ中はパフォーマンスに集中するために履きやすいヒールとかにしてます。最初の頃は、ダンサー用の18cmのヒールとかでやってました。ダンサー用に作られてるから、普通の高いヒールに比べればめちゃくちゃ歩きやすいけど、やっぱりちょっと動きずらくて。動きにくさに気を取られちゃうとライブのパフォーマンスに影響するんで、最近はそんなに高すぎないのを履いてます。
―ところでタトゥーも目立ちますが、それぞれどんな意味があるんですか?
右肩に入っている虎のタトゥーは、ミャンマーの八曜日占いで私の守り神が虎なので、入れました。虎のおでこには私の誕生石の赤珊瑚というテイで、赤い目で麻柄の煙を吐いてるふうに。それと、左手に入ってるのはガネーシャです。私のおじいちゃんがヒンドゥー教の人なので自分のルーツとして入れました。ちなみにガネーシャは踊りの神様でもあるんですよ。私は元々ゴーゴーダンサーをやっていたし踊ってるガネーシャにしました。一人だと可哀想だからガネーシャの横に必ず描かれているネズミも一緒に入れて(笑)。ポイントは鼻の模様だけが赤いところ。もう一つ入ってるのは、“Love the life you live. Live the life you love.”(自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ)いうボブ・マーリーの名言です。
―今後挑戦してみたいスタイルはありますか?
ファッションは、ボディスーツとかですかね。ボディスーツってシルエットが無い分、ボディラインがそのままシルエットになるので、もっと鍛えてそういうファッションをしてみたいです。ヘアスタイルはタイトロープとか、色々挑戦してみたいなと思います。
―今日の撮影は渋谷のストリートで行いましたが、渋谷はHennyさんにとってどんな場所ですか?
渋谷ってもともとギャルの街で、10代の頃ゴーゴーダンサーを始めた頃は憧れの街だったのが、今は渋谷を中心に音楽の活動をするようになって、自分のテリトリーになったと思います。歩いていれば誰かしら友達がいるような感じですね。
―ところでHennyさんはミャンマー出身ですが、今でもよく行くんですか?
3歳で日本に来て、12歳ぐらいの時に1ヶ月母と一緒に帰った以来行けてなくて。本当はもっと帰りたいんですけど、3年ぐらい前にミャンマーでクーデターが起きて、状況が不安定なので、安全面を考えると帰れないです。
―日本に住んでいても、ミャンマーのカルチャーが自分の中に流れているのを感じることはありますか?
食を通して感じることが多いかもしれないです。実家に住んでた時は、いつもミャンマー料理を作る母に日本食を作って欲しいと思ってたんですけど、実家を出た今はミャンマー料理を欲してる自分がいます。ミャンマーは中国、インド、タイが隣国にあるので、中華料理の油の文化とタイ料理のナンプラーやエスニックな要素、インドカレーのスパイスが混ざっているんですよ。今は自分で料理をしていて、ミャンマーのカレーみたいなのとか、タイのヤムウーセンとかソムタムに近いサラダ的な和え物とか、しょっちゅう作ってます。
―それでは、音楽の話を聞かせてください。15歳からゴーゴーダンサーとして活動して、ラップをやり始めたのは19の頃だそうですね。そのきっかけはメンタルブレイクだったとあるインタビューで知りましたが。
そうですね、ゴーゴーダンサーって人に見られる仕事で、周りから太ったとか痩せたとか、容姿に対して何かを言われることがすごく多くて、それでストレスになって、ストレスで余計食べて自己嫌悪に陥るみたいな負のループに陥ってました。ある時失恋したこととかも重なって、お酒を飲んでる時に当時周りで流行ってた睡眠薬を飲んでしまったんです。そのあとの記憶がないんですけど、起きたら一部だけ除いて坊主っていうすごい髪型になってて。こんなんじゃ踊れないと思って、ダンサー活動を休止しました。
―それは大変でしたね。
20歳になったら、目標にしていたハーレムでレギュラーとして踊ることも決まっていて、ダンサーとしてのキャリアを上げようと頑張ってたのに、それらが全て無くなって虚しくなって、ご飯も食べれず、1、2ヶ月で体重が10キロ落ちました。それまでは「ゴーゴーダンサーのKIKI」っていう肩書きみたいなものがあったけど、それがなくなって自分の存在価値もなくなってしまったような気がして、このままじゃいけないと思って、前々から興味のあったラップをやってみようと思ったんです。
―ラップを始めるのに勇気というか、人の目を気にしたり、プレッシャーはなかったですか?
人の目は結構気にするタイプなんですけど、だからこそやってやろうっていう気持ちが人一倍強かったかもしれないです。あと、ラップをやろうと思って、ある時酔った勢いでフリースタイルしたら、当時仲良くなった男の子に絶対やった方がいいって言われて。そうしたら1ヶ月後ぐらいにその子が捕まっちゃって。彼が出てきた時に、私がやるって言ったことをやってなかったらショックなんじゃないかと思ったし、自分の言った言葉は守りたいと思いました。
―いいですね。ところで先日ファーストアルバム “K”をリリースされましたが、テーマや込めた思いなど教えてください。
ファーストアルバムはHenny K というラッパーとしてのイメージを定着させるものになるので、クラブとかナイトカルチャーを連想させるような曲作りをしました。でもそれだけじゃ薄っぺらいと思ったんで、他の一面も見せたくてラブソングも入れたりしてます。
―制作する上で、何か印象的な出来事はありましたか?
プロデューサーにヒロシさん(D-BO¥$)と、エグゼクティブプロデューサーにDJ JAMさんがいるんですけど、ヒロシさんはめちゃ厳しいけど人一倍愛もある部活の顧問のような方で、JAMさんは逆に口数少ないというか全く怒ったりしないタイプ。叱る人と慰める人のバランスがあったおかげで、曲作りを頑張れたかなと思います。当時私はまだ会社員だったので、会社の仕事とバイトをしながらアルバム制作をして、睡眠時間が毎日1日3時間とかで、疲労やストレスで余計にお酒を飲んじゃって、いろんな失敗が多くて。でも自分ではやばくなってることに気づいてなくて、ヒロシさんにすごく怒られたりして、思い返すとすごく支えてもらってたなって思います。今はライブのお仕事とかが増えたんで、スケジュールを考えて喉を休めるためにもお酒は控えるようにしてます。
―アルバムの反響はいかがですか?
思ってた以上に曲を聴いたと言ってくれる人がすごい多くて嬉しいです。曲作りしてる間は、こんなに頑張ってるのにみんな分かってくれないって、ジレンマを感じていたんですけど、出してみると予想以上にみんな聴いてくれてたり、メンションしてくれたりで、自分に近い人たちが応援してくれてるのを感じました。私はまだ全国各地にたくさんファンがいるような段階ではないですけど、15歳から約8年この業界にいて、昔から知ってるからこそ応援してあげたいって、ありがたいことに地方からも呼んでいただいたり、ラジオに出演させてもらったりしているんで、本当にありがたく思います。
―これからコラボしてみたいアーティストやプロデューサーはいますか?
一緒にやってみたいと思うラッパーは、ゆるふわギャングのNENEちゃん。イベントとかで何回か交流はありますけど、10代の時から聴いてたアーティストだからこそ、軽い気持ちで曲やりましょうよとかは言いたくないですね。あとはJUMADIBAくんともやってみたいです。プロデューサーは、KMさんとかSTUTSさんが好きです。STUTSさんはすごく売れてるのにびっくりするぐらい腰が低くて親しみやすい方。そういう人柄がいい人と曲を作りたいです。何をするにもそうですけど、売れてるからこの人とやりたいとかじゃなくて、人柄を重視して仕事したいなと思います。
―これからHennyさんが目指す場所は?どんなアーティストになりたいですか?
今はクラブカルチャー色が強い曲が多いですけど、これからは日常でイヤフォンで聴いたり、車で聴きたくなるような曲も作りたいと思ってます。そしていつかはワンマンできるようになりたいです。自分の憧れの場所で、今は自分のホームだと思っている、ハーレムで。来年中にはできるといいなと思います。
―楽しみにしてます!最後に、Hennyさんにとってヒップホップ とは?
人生を変えてくれたカルチャーだと思います。ヒップホップと出会って、ヒップホップのある環境に身を置く時間が増えたことで友達がたくさんできて。そして今、音楽が仕事になって生活ができるようになった。ヒップホップを好きになってなかったら、もっとつまらない人生を送っていたかもしれないって思うんです。普通に大学を卒業して、どこかの会社に勤めて、毎日同じような生活を送ってたのかな。それもそれで幸せかもしれないですけど、とにかくヒップホップは私の人生を変えてくれたものですね。