Text & Photo: Atsuko Tanaka

TEITO in Yokohama


―まずは今日のファッションポイントを教えてください。

スニーカーが好きで、スニーカーを中心にコーディネートを組むことが多いんですけど、今日は黒のスニーカーなんで、パンツは黒で、グレーとか白の差し色を入れて、スニーカーが目立つようにしました。バンズとサボタージュっていうシンガポール発のブランドのコラボモデルで、レザーとスエードが組み合わさってて、骨のディテールがかわいいなと思ってます。

サングラスはDJ LUKEさんがやってる「SUNKAK(サンカク)」というブランドのもの。ずっとサポートしてもらってて、めちゃありがたいです。僕はアイウェアもすごく好きなんですけど、僕の好きな形とかカラー、柄のを作っているんで、普段でも衣装でもよくかけてます。あとダウンはDKNY、ダナ・キャランのカジュアルラインで90年代のものです。

―TEITOさんはセレクトショップでも働いてるそうですね。

はい、「NINETEEN EIGHTY FIVE JP」っていう横浜の青葉台にあるセレクトショップで店長をやらせてもらってます。オーナーが1985年生まれで、ジョーダン1が出た年とかけてその名前なんです。基本メンズもので、新品から古着、スニーカーも結構いっぱいあって、ストリートカルチャー中心にセレクトしたものを置いてます。

 

―TEITOさん推しのブランドはありますか?

正直あまりなくて、見た目でかっこいいと思うものを買うことが多いです。古着も結構着ますし、ブランドにはそんなにこだわりがなくて。強いて言えば靴だと今はバンズにハマってるくらい。元々スニーカーショップでずっと働いてたんで、スニーカーを見る機会が多くて、自然とスニーカーを集めるようになりました。

 

―結構持ってるんですか?

超好きな人に比べたら全然少ないですけど、回らないぐらいはあります(笑)。アディダスとかニューバランスとかも履きますし、それこそバンズも持ってますけど、やっぱりナイキが一番多いです。ヒップホップアーティストとのコラボも多いし、SBとかのラインもすごい好きで。

―ファッションを参考にしている人やメディアはありますか?

あんまりないです。でもスケーターの動画とかはよく見ていて、かっこいいなと思ったりはしますね。海外だと、SUPREMEのライダーのタイショーン・ジョーンズとか、REALのアイショッドとか、ラッパーよりはスケーターの方が多いです。

 

―TEITOさんもスケートするんですか?

前はやってましたけど、足折っちゃってからは全然できてないですね。昔バスケやってて、ストリートバスケのビデオを見てた流れで、スケートビデオも見るようになって、今でも見るのはめっちゃ好きです。

 

―世界でおしゃれな人が多いと思う街は?

世界旅行したことはあんまりないんで、イメージですけどやっぱニューヨークなのかな。いろんなカルチャーが存在してるし、いろんな人がいると思うんで、ストリートのファッションで言ったら、ニューヨーク。

 

―では、今日撮影した横浜元町はTEITOさんにとってどんな街か教えてください。

元町は前からアパレルの店とか飲食店とかでアルバイトしたり、家が近いのもあって来ることが多いんですけど、おしゃれなお店が多いから華やかさもあって、ちょっと行くとシティが広がっていて、でもそんなに都会すぎず落ち着いてるんですごく好きな所です。

―何か印象的な思い出とかありますか?

前にフランス山公園という公園の近くにあるショップで働いてた時に、いきなりその公園でレッドブルのスケートクルーが撮影し始めたんです。そうしたらザイオン・ライトっていうライダーが店に来て、話しかけたらめっちゃ喜んでくれて写真を撮ったりしました。目の前でスケート滑ってるのも見れたし、世界のプレーヤーがこの街に来てくれたことはすごい嬉しかったですね。

―では先月リリースしたファーストアルバム「TAINT(テイント)」について、コンセプトやテーマなどを教えてください。

「TAINT」には汚点とか傷つけるみたいな意味があるんですけど、昔からいつかアルバムを出すんだったらその名前で出したいと思ってたんです。マイナスな意味を自分が活躍することで良い意味にできたらいいなと思って。名刺代わりになる最初のアルバムなんで、等身大の自分を見せられたらと思ってます。

―ラップはいつからやってるんですか?

中学3年の頃です。当時流行ってた曲に合わせてメモ帳に歌詞を書いたりして始めました。当時周りでラップをやってる人は、中学の先輩1人くらいで他は全然いなくて、僕はただ好きで聞いてたんですけど、その先輩がやってるのを聞いて自分もできるんじゃないかと思って、やり方を教えてもらって。

 

―その後、真剣にラッパーになろうと意識したのはいつ頃?

高校を卒業した後大学に進学したんですけど、何となく進んじゃった感じで、学んでることと自分が描く将来像とあんまりリンクできなくて、途中で辞めて、音楽に力を入れ始めました。それが20歳前後ですね。人生一回だし本腰入れてみようと。

 

―それからは曲を出したりしてたんですか?

いや、どう活動していいかがあまりわかってなくて、ただひたすらライブに出て、レコーディングしてCD配って、とかいうのをずっとやってました。でもそれじゃダメなんだなってある時気づいて、そうしたら周りのエンジニアさんやプロデューサーさんに出会うことができて、スタジオに入れてもらってシングル配信をできるようになりました。それが4年くらい前で、その頃から自分の意識が変わった感じはあります。

―この4年でヒップホップシーンもだいぶ変わりましたよね。

そうですね。広がりすぎてて、こんなになるんだって本当にびっくりです。僕が始めた頃はラッパーって言うと鼻で笑われてたけど、今は堂々と言える世の中になったんで、すげえいいなと思いますね。

 

―みんなのレベルも高いですよね。

めちゃめちゃ高いっすね。なんでそんなに高いんだって思うくらい。いいお手本がいっぱいいると思います。

 

―でもその分周りとの差を出すのって難しいんじゃないですか?

そうですね。でも僕は周りとの差を出すよりかは、自分の根っこがしっかりしてるかどうかが大事だと思ってます。ルーツだったり、自分がどうしてこのジャンルを好きになったのかとか、好きで続けられてるのかとか、そういうことをちゃんと意識できてるかで伝わるものが変わってくると思ってて。なので、トレンドのスタイルとかも取り入れるけど、自分の根っこは曲げないというか、流行に寄りすぎないように自分のものにして消化するのが大事なのかなと。

 

―影響を受けたラッパーはいますか?

影響を受けたというか食らったラッパーは何人かいます。最初は日本語ラップから入ってて、姉を通してKREVAの「ひとりじゃないのよ」っていう曲を聴いて、当時中学1年生でそういう曲を聞いたことがなかったんで、「なんだこの感じ?」みたいな、調べていくうちにすごいハマっちゃって。その後、地元横浜のラッパー、OZROSAURUSを知って狂ったように聴きました。それと、一番影響を受けたというか、好きなスタイルがZORN。英語じゃなくちゃんと日本語で韻を踏んで、且つ意味も通ってることに衝撃を受けました。海外のラッパーだとケンドリック・ラマーが好きですね。リリカルで、背景にストーリーがあって、周りに影響されず自分を貫いてる姿勢に影響を受けるし、自分も頑張ろうって思えます。

―話はアルバムに戻りますが、いつぐらいから作っていたんですか?

今回のアルバムで、一番古い曲は2年前ぐらいに作ったものです。その間に別の曲もできてEPとしてリリースしましたけど、アルバムとしては2年ぐらいかけて最終的に納得いくものができた感じです。

 

―作っていく中で、印象的な出来事などはありましたか?

僕は自分が聴きたい音楽をその時の感情で作ることが多いので、後から聞いてみると、アルバムのテーマにハマらないことがあったりして、14曲をまとまった作品として作るのはすごく難しいことなんだなと実感しましたね。プロデューサーは何人かいて、主にやってもらったのが山口出身のillrainで、常に一緒にスタジオに入って、こういう曲をやりたいとか話し合って、僕からこの人のビートを入れたらどうかとか提案しました。

 

―では、アーティストとしての今後の目標を教えてください。

ラッパーとしては自分を見失わずに、周りの仲間たちとずっとやっていけたらいいなと思ってます。みんな小学校とか中学の同級生だったりが多いんで、関係を大事にしていけたらなと。あとは、「Fade(フェード)」というアパレルブランドで、このフーディーとかも自分で作ってるんですけど、音楽以外の形で自分の創作意欲を消化するのもすごい好きなんで、手広くやっていけたら面白いなと思ってます。

 

―最後に、TEITOさんにとってヒップホップとは?

ライフスタイルだと思ってます。ラップはその表現法で、だからこそ等身大がいい。ファッションもそれを表現する一つだと思います。あまり背伸びをしすぎず、自分に合ったスタイルや自分が好きなスタイルを見つけて表現する。あとはやっぱりしっかりと根っこを張って、周りを大事にすることじゃないですかね。上の世代の人達の背中を見てそう思ったし、下の世代にもそれを伝えていくのがこのカルチャーの中に生きてる表現者としての役目だと思うので、そこを頑張っていきたいです。