「バリアーズ・ワールドワイド」の台頭: LAへの拠点移転と、A$APとの運命的な出会いで成功を掴む

Text & Photo: Atsuko Tanaka  


今、ヒップホップシーンやストリートで人気を集めるブランド「バリアーズ・ワールドワイド(BARRIERS WORLDWIDE)」。デザイナーはニューヨーク出身のスティーブン・バーター(Steven Barter)。学生時代に立ち上げたブランドが軌道に乗ったのは、LAに拠点をうつしたあと、エイサップ・バリ(A$AP Bari)やナスト(A$AP Nast)の出会いが大きな影響を与えたと言う。2回目の来日を果たしたスティーブンをインタビューし、彼の生い立ちやブランドのこと、将来の夢などを聞いた。

―子供の頃のことを教えてください。どんな環境で育ったんですか?

パナマ人の両親のもと、クラウンハイツで生まれてファーロッカウェイで育った。両親は共働きだったから、僕と妹は自分たちで行動したりお互いの面倒を見ないといけなかった。ニューヨークで育つのってタフだよね。いろんなことを見てスポンジのように吸収して、大人になるのが早いと思う。

 

―その頃はどんなことに興味を持っていましたか?

絵を描くことだね。中学校の頃は本当にいろんな絵を描いてたよ。学校でセレモニーがある時は、いつも僕が描いた絵が飾られたりしてたんだ。

 

―高校の頃もそんな感じで絵を描いて?

高校の時に親父の関係でロングアイランドの郊外に移ってからはあまり描かなくなって、バスケとかいろんなことをしたね。ある時友達が「ハイボリューム」っていうスケートショップをオープンして、学校が終わるといつもそこにチルしに行くようになった。アーティストとかいろんな人来る店で、僕もいろんな人に出会ったよ。そのうち無休だけど仕事の手伝いも始めて、オーダーの仕方とか服の買い方とか、ビジネスを色々学んだ。おかげで自分のブランドを始める時はビジネスの基礎がわかっていたね。

―高校を卒業後はどんな道に進んだんですか?

カレッジに行ってビジネスを学んだけど、あまり好きになれなかった。でも学校から受けた学費の援助金で LLC(合同会社)を立ち上げたんだ。それがバリアーズ(BARRIERS)の始まり。服は作ってなかったけど、友達にまずLLCを立ち上げろと言われてとりあえず会社にして。昼は学校に行って、夜はニューヨークの街で友達とハングアウトって毎日だった。ケン(Ken Rebel)やイアン・カナー(Ian Connor)、スゥッシュ(Swoosh God)とか、今ファッション業界で成功してる人たちとよくつるんでたね。僕は仲間内で唯一車を持っていたから、みんなに「迎えに来い」とか言われて、パーティーとかファッションショーとかいろんなところに彼らを連れて行ったんだ。そのおかげでいろんな人に会うことができた。

 

―自分のブランドにフォーカスするようになったのはいつ頃?

LAに行ってからだね。スゥッシュと一緒に行って、最初は彼の手伝いをしながら一緒にホテル暮らしをさせてもらって、そのうち彼がエイサップ・バリ(A$AP Bari)を紹介してくれて、彼の家に住み始めた。そこからが僕のヒストリーの始まり。途中からエイサップ・ナスト(A$AP Nast)も一緒に住むようになって、ファッションについて色々学んだ。学んだといっても、彼らが何かを直接教えてくれるわけではなく、自分で見て学ぶだけ。バリもナスもスーパースタイリッシュで、洋服の着方を知ってるしね。

そんな感じで彼らをヘルプしながら、中国、ロンドン、パリとか、いろんな所に行った。お金をもらうことはなかったけど、飛行機とか滞在費は出してくれたんだ。環境を与えてもらって、そこから何をするかは自分次第ってこと。海外に行って、向こうの人がどんなことをやっているのかとか、いろんなものを見て知れたのはすごく勉強になったよ。リル・ヨッティ(Lil Yachty)とかプレイボーイ・カーティ(Playboi Carti)、トラヴィス・スコット(Travis Scott)とか、今成功しているアーティストたちもみんな昔はエイサップ達と住んでたんだ。食べ物とか日用品を買って家を綺麗にするのが仕事。キャンプみたいなもんだね。エイサップキャンプだ(笑)。

―いいキャンプですね!(笑)。

その後はミュージックっていう友達をマネージャーみたいな立場でヘルプして、彼がレコードディールを得て自立した後は僕の番。アイデアはたくさんあったから、とりあえず挑戦って感じで色々やってみた。でも失敗も多かったよ。人気のブランドってヒットする起因があるわけだけど、僕は自分のブランドのそれが何になるのかを考え続けた。トライ&エラーを繰り返しながら、見つけたんだ。

―バリアーズを始めた当初は、どんなコンセプトを持って始めたんですか?

最初はステューシー(Stussy)みたいなのをやりたいと思ってた。ロゴ重視の服、みたいな。でもブランドを続けるためにはストーリーを語らないといけないと思って。だからロゴだけの服は未だかつて出したことがないんだけど、これからは出していくよ。

 

―バリアーズが注目されるようになったのはいつ頃?何かきっかけがあったんですか?

注目されるようになったのは2015、6年頃かな。スタイルはずっと同じ感じで続けてきてたけど、アメリカでブラックライブマターな醜い出来事が色々起こって、みんな知識を深めようと読書をしたりしてた頃がブランドのコンセプトと合った感じだね。あとはナスとバリが誰かにハットを渡して、その人が被った写真をインスタにタグ付けして上げてくれたりして、ゆっくりと自然に認知されていった。

そんな中、僕の仕事は常にカッコ良くいることだと思ってる。いろんなところに旅して、それを投稿して、ブランドに興味を持たせる。でも、僕がゼロからスタートしてここに来たっていうストーリーを知ってもらえたら嬉しいな。日本にもずっと来たかったんだ。今回2回目だけど、この機会を当たり前と思わずに感謝してチャンスを活かせるようにしたい。

―バリアーズは、マルコムX(Malcom X)やボブ・マーリー(Bob Marley)など、歴史上革命を起こした人物や音楽のアイコンなどをモデルにしていますが、そういった人たちからはどんな影響を受けてどんなことを学びましたか?

例えばマルコムXは、若い時はドラッグディーラーとかピンプだった時期もあったけど、心を入れ替えてあのような人物になった。だから人生はどう変わるかなんだ。みんなそれぞれの人生において秘密やストーリーがあって、成長して良くなろうとしている。昔がどんなでも、頑張ろうとしてる人のことを貶すことはできない。それにブラックの人たちは偉大なことをやっても吊し上げにされたり辱めにあってきた。そういう時、自分が何を信じるかが大事。音楽も同じだよね、リリックが革命を起こすこともある。僕はそういうことにインスパイアされてきた。とにかく僕が作るものはその人のことをリサーチして学ばないと作れない。だから本をたくさん読むんだ。

 

―でも、彼らの自伝を読むのは大変ですよね。本は分厚いですし…。

そう、それに知識が増えすぎても、それはそれで問題なんだよね(笑)。だからチャプターごとに読んで休憩してまた読んでって感じ。よく友達に言うんだけど、インスピレーションは家の外ではなくて家の中にあったりする。僕の叔母は校長で、昔から家に本がたくさんあったんだ。若い時は外に目を向けてばかりいてわからなかったけど、思い返すとずっと自分が探しているものは身近にあったことに気づいた。

―デザインにおいてのプロセスはどうやって進めているんですか?

アイデアは大体本から探す。今はみんなオンラインで探すことが多いと思うけど、僕は本を買う。それでまずモデルを決めるか、誰かアイコンのイメージを思いついたら、自分なりのテイストにアレンジするんだ。僕はそういうことが得意なんだよ。デザイナーはビジョンが必要。ビジョンが見えなかったら難しいね。

 

―ビジョンが見えたら、その後はスケッチするんですか?

今はチームがいるから、それぞれの分野で得意な人に任せてるよ。彼らはみんな友達なんだけど、みんなには僕のブランドだけに頼らず自分たちのブランドを持てと言ってる。僕に全て頼られても支払いができないこともあるかもしれないし、僕のブランドで稼いでお金を自分のブランドに投資しろって。それにみんながブランドを持って、一緒になったらもっと強くなれるじゃん?多くのブランドはアイデアを盗まれるからという理由で他のブランドで働くのを嫌がるけど、僕は全く気にしない。僕はビジョンがいっぱいあるし、彼らは僕のビジョンが見えないから大丈夫。気にせず自分のことをやれって思う。

―ではアーケニー(ARTCHENY)とのコラボについて教えてください。お二人の出会いは?

初めて日本に来た時に友達を通してアキラに会って、オフィスに行って、彼の作る服が全部良かったから一緒にやろうってなったんだ。僕は日本のマーケットに進出したいし、彼はアメリカのマーケットに行きたいから一緒にドープなものを作ってお互いヘルプしあえたらいいなと思ってる。それも今回だけじゃなくて、ストーリーを語って、今後も続けていけたらいい。コラボはお金のためじゃなくて、友情をベースに成り立つもの。一緒にアートをクリエイトしようぜって。バスキアとウォーホールもそうだったように。

 

―言える範囲でいいですが、今どんなものを作っているんですか?

コレクションを製作中で、最初は多分5ピースくらい出す予定。2月にニューヨークでファッションショーをやってポップアップをする。そのあとは東京、そして他の都市を周る。ワールドツアーだね。

 

―コレクションの内容は?

みんなコレクションに名前をつけようとするけど、僕たちは必要ないと思ってる。日本とアメリカのスピリットを合体させた僕らなりのエネルギー。僕のブランドはブラックヒストリーにインスパイアされたものだけど、だからと言ってコラボする時もそうである必要はない。ただ、意味のあることをやりたいとは思ってる。それに服だけじゃなくて、アクセサリーとか日常に使えるアイテムを作ってもいいね。ヘッドフォンとか、コーヒーテーブルとか、いろんなことを経験して変化していきたい。

―それはとても楽しみです!では、最近のファッションシーンについてはどう感じていますか?

(サイクルが)早すぎる。例えば誰かがインスタでいいと思う服とか帽子を見つけたら、ちょっと変えて自分のものを作っちゃう。コピー&ペーストだね。昔はヒップホップのブランドはみんなそれぞれのスタイルがあって違ったけど今は同じものばかり。ファッションを知らない人が見たらきっと困惑するだろうな。みんなが同じところにアクセスできるから同じものを見て、同じ格好をして。だから僕はビンテージが好き。あとは、ブランドだと真似できないようなコム デ ギャルソン(Comme des Garçons )とかイッセイミヤケ(ISSEY MIYAKE)が好き。ハイエンドは買わない。友達で全身リック・オウエンス(RICK OWENS)とかバレンシアガ(Balenciaga)の子とかいるけど、そんなのコスチュームを着てる気がしちゃうよ。そもそも服にそんな金を使いたくないし、ビンテージとか昔のリーバイスとか、サステナブルな服を買いたい。

 

―では、あなたのファッションスタイルを一言で表すとしたら?

オリジナル。僕は服を選ぶ時、頭で考えずただピックして着るだけ。それが自分のスタイルになるんだ。

 

―将来はどう見据えてますか?

バリアーズが上手く行って成功したら映画を作りたいと思ってる。子供も大人も楽しめるようなアニメがいいな。お金も時間もかかるけど、アイデアはあるからそれを脚本にしてくれるライターを見つけたい。あとはグラフィティとかヒップホップフォトグラファーをテーマにした映画もいいね。だって写真って大事な歴史の資料なわけだし、その人たちへのリスペクトも込めて、人々をインスパイアできるような作品を作りたい。

―ところで、ヒップホップで好きなアーティストは誰ですか?

ジェイ・Z (Jay Z)、ナズ(Nas)、リル・ウェイン(Lil Wayne)、デ・ラ・ソウル(De La Soul)、トライブ(ATribe Called Quest)とか。俺は90’s babyだよ。最近のは聴くかない。キリング、シューティング系を聞くのはパーティーの時だけ。一人でドライブしてる時に聴くのは、Andre 3000。リリックはなし、サウンドだけだよ。

 

―それは意外でした!では最後に、あなたにとってヒップとは?

セラピーだね。誰も話す相手がいない時とか落ち込んだり傷ついた時、誰かに話すことはできなくても音楽を聴けば落ち着くことができる。音楽は僕にとっての癒しさ。